『夏目漱石の妻』第3話

妻は甘やかして育ててくれた父親を自ら捨てたけど、夫は実の親よりも可愛がってくれた育ての父と再び縁を切ることを決心できなかった。だから妻が夫の代わりに金を渡し念書を取り返した。夫のために。子供たちのために。家族を守るために。
ずぶ濡れで戻ってきた妻から手渡された念書を虚ろな表情でびりびり破きながら、義父との縁を今度こそ完全に切ったことで、切ってもらったことで、妻がどれだけの哀しみと苦しみを抱えていたか身を持って知ったのでしょうが、身を持って知ったからこそ妻の・・・金之助は「強さ」と表現したけど、妻の強さが怖かった・・・・・・のかなぁ。お寂しいですかと聞ける妻の強さが。
妻がどれだけの想いでもって必死で貯めた持ち金を全て渡し縁を切ったのか、なんのためにそうまでしたのか、なぜ「強い」のか、あれだけの小説を書けるのに一番身近な人間の気持ちは全然わからない金之助は愚かだし、こんな夫を抱えて強くならざるを得ない鏡子さんも哀れだと思った。
・・・だってぽんぽんぽんぽん子供を産みやがってってまるで他人事!!(笑)子供は女ひとりだけじゃできないのに!!(笑)。
実の父親と可愛がってくれた育ての父親の間で自分が金で売り買いされた(そのことをしっかり認識している)ってのは金之助が精神を病んでしまう土台として充分だと思える背景ですが(買い戻されたものの実の父には可愛がってもらえず、金で自分を売った育ての父から受けた愛情の記憶だけを支えに孤独を慰め耐えて生きてきたのか・・・とか思ったのに、実家に戻ってもことあるごとに義父の家に来ていろいろたかってたとか聞かされてズコ―w)、それとは別に実の父親が本田博太郎で育ての父親が竹中直人で兄が津田寛治という配役もまたそら頭もおかしくなりますよねという超説得力。とくに“金ちゃん”が気の毒だったと思い出話する兄ちゃんの暢気さったら!。金ちゃん可哀想だなーって思ってはいたんだろうけど、思うだけで実際にはなにひとつ力になってやらなかった、やろうとしなかったってのがこの語り口調からだけでビンビン伝わってきたもの。
竹中直人とか正直もううんざりなんだけど、パナマ帽被って「似合いますか?」と鏡子に聞いたところまでは嫌悪と恐怖そのものみたいな存在だったのに、胃の痛みに堪えきれず悶えながらも「いい父親だったんだ」と金之助が言うのを聞いた瞬間顔からなにかが剥がれ落ち、そして雨の中鏡子が差し出す金を受け取るころにはただの矮小な存在でしかなくなってて、この落差というか二面性というか、こういうのはやっぱり竹中直人ならではだよなーと思わされた。
義父にとって念書は“頼みの綱”であり“金蔓”だったとは思う。だけどそれだけじゃなくって金之助に全力で愛情を向けていたことの“証し”でもあったんじゃないかな。他人に対する証明ではなく、自分自身に対する証。僅かな金で金之助を実家に売り戻したことを義父も後悔していて、もちろん金額についての後悔もあるだろうけど愛する息子を手放したことに対する後悔があって、自分の判断を責めたり悔やんだりするたびに“金之助の念書”があるからと、それは“金之助との繋がり”の証しだからと、そう自分に言い聞かせてきたんじゃないかなって。そんなふうに思わされた。
史実では漱石が死ぬまでずっと金をせびり続けたそうなので文字通り金蔓でしかなかったのかもしれませんが、このドラマの義父は金之助が言うように「いい父親」だったと思うし、だからこんな関係になってしまうことが哀しい。と同時に、ともに大切なひととの縁を自らの手でたち切った夏目夫婦がこれからどうなっていくのか(ゴールは分かってるけど)楽しみでもある。