『真田丸』第40回「幸村」

この秀頼様だったら担ぎ上げるぜ!!ってな大名いっぱいいそうだけどと思ってましたが、そうか・・・みんないろいろあってもう片桐さんしか『残ってない』のか・・・・・・。
よりによって片桐さんとか、ほかの誰でもない片桐さんとか、豊臣は滅びるべくして滅びるんだなと、抗う気力を全て奪いとられましたわ。
しかし片桐さん、鐘の文字に難癖つけられ、駿府に1か月も滞在してるのに会ってもらえず、一方で大蔵卿はあっさり会えたってあたりは家康(徳川)の策略だとしても、正純の発言を元に『嘘』をついたのは片桐さん自身なんだよね。徳川にそういう感じになるよう仕向けられたというわけではないし(そういう面はあるだろうけど)、片桐さんなりに豊臣が生き残るためにはどうすべきか考えてのことというわけでもなく(そういう面もあるだろうけど)、大蔵卿にムカついてたからという極めてセコイ理由でもってそんなことしちゃったってのがもう・・・・・・庇いようねーわ。
でも源次郎に助けを求めた。表舞台から退いてずいぶんと経つ人間に縋らねばならないほど人材不足だという事情はそれとして、「度胸も知恵もない」とかボロクソ言われながらも片桐さんなりに誰かに託すという形で責任を取ろうとしたことの表れだろう。
そう思うとやっぱり片桐さんを憎めないのだけれど、でもこのひと信繁改め幸村が大坂城入りするときには徳川の人間になってんのよね・・・・・・。
そこはさすがにそういうことになるのでしょうが、この流れで大坂城の情報ペラりまくりとか人間不信になりそうなんで(わたしが)、それは避けていただきたい・・・・・・。
そして初登場時はあれだけ凛々しく王のオーラびんびんだった秀頼様だけど、嘘をつかれたことに悲しむだけで且元がなぜそんな嘘をついたのか、そこを考えはしないのか。
形部様と治部殿と源次郎でコソコソしてたときは書物でいっぱいだったのに、がらんどうとなった書庫が『今の豊臣』の象徴なのだろう。立派な王の器があるというのに、その器を満たしてやる者も物ももはやないのだと。
ってなところで信繁が大坂行をどう決意するのかと思ったら、そうか、そういうことか。
信繁がこれまでずっと傍観者の立場であったこと、そしてきりがヒロインという立場のはずなのになんだかわかんない状態のまま信繁の側に居続けたこと。それは全部信繁が大坂行を決意するための壮大な前フリだったわけか。
いやあ・・・長かった。まさみどんが『ヒロイン』の役目を果たすまで、掛かった話数『40話』ですよ。
でも40話かけて溜めて貯めてしてきた甲斐はあった。これは信繁との間に「家族」という関係性を築けなかったきりだからこそ言えたことで、それでもずっと(無理やり)信繁の側に居続け一緒に生きてきたきりにしか言えないことだもん。「なんとか官兵衛」とかきりにしか言えねーだろ(笑)。
そしてここでのロング回想。これまで回想を使わなかったのはこの瞬間のためだったんだ。これまでの39話を経てついに信繁が幸村になる。これまでの39話はこの時のためにあったんだ。
きりだけでなくみんなに押されて引かれて惹かれて信繁は「幸」の文字を背負って入城するんだなーって、鈴の音が響くごとに胸がぐわん!と熱くなってでも背筋はゾクっ!と寒くなるというなんかよくわからない感覚に襲われながら、ここまでずっと見続けてきてよかったと、心の底からそう思えた。
(言ってることは信繁にとってすごく意味のあることではあるのでしょうがこのメンツに秀家さんがいたのはちょっとびっくりしたけどw)(ていうか勝頼様がいなかったのが納得いかーーーーーーん!!勝頼様は源次郎に「コレ」という言葉を残したわけではないけれど、あの時勝頼様の背中を見送ったことは、見送ることしかできなかったことは、源次郎の中に何かを残したはずなのにーーーーーーー!!)
そんでもって、なにかというとくじ引きで決めたがる父上に「そういうのはもうやめましょう」と言った信繁が、「父はずっとそうしてきた」と言い息子にくじを引かせて決まった名前を名乗って大坂の陣に向かうとかさー!。
・・・・・・九度山村の“村”の字までくじボックスに入れちゃったのかと苦笑いしてたけど、「九」とか「度」でなくて良かったよねw。「幸山」でも「山幸」でも微妙だしw、岩櫃の「櫃」とか六文銭の「銭」とか名前にするのはちょっと無理ってな字も結構あるだろうなかで「村」を選ぶとは、これは大助持ってると言わざるを得ない(笑)。
九度山スローライフ送るなかで、忠義心の塊のようだった佐助ですら主家の当主である信之の悪口を言うようになってしまったわけで、忠義や恩義なんてものはそんなに長く変わらず抱き続けていられるものではないのだろう。失うことはなくても(佐助は完全に失ってるけど)、大事なものを捨てることと引き換えにできるほどの“動機”にはなりえないのだろうと、ここまで見た今はそう思う。これまで「これ」が信繁が豊臣のために戦うための理由となるのだろうと思わされることがいくつかあって、その積み重ねが信繁を大坂の陣に向かわせるのだろうと思ってきましたが、今の信繁にとってそれだけじゃ今の退屈だけど穏やかな生活を、そこで日々を生きる家族を、捨てる理由にはならないよね。・・・まず「兄上に申し訳が立たない」「兄上を再び辛い立場に置くことになる」ってな発言が出なかったのはどういうつもりなんだよ信繁よぉ?と思ったことはそれとして(そこで名場面いっぱいあるのに信繁が思い出したお兄ちゃんがあの場面だったことに繋がるのでしょうが、「いっぱいいっぱいなんだよー」って言いながらなんだかんだやってくれるだろうという信頼・・・と受け止めればいいのか?)(あとまぁ信繁の好きな兄上は「コレ」というか、兄上のこういうところが好きだということかな)。
そこでこれまで何もしていない、何の役にもたってない、誰のためにもなってない、何も残してない男が、誰かに必要とされ、何かを為すために、何かを残すべく戦いに赴くってのは、なんていうか・・・目からうろこ的な?視点の切り替えで、それをビシっと突き付けてやったのがヒロイン・きりだということと併せてここからついに真田幸村が名実ともに物語の主人公になるということが問答無用で伝わってくる、見事な作劇であった。
ついに『真田幸村』になったかー。わたし特に幸村好きというわけではないので信繁だろうが幸村だろうがドラマが面白ければどっちでもいいかなと思ってたけど、いざ「真田幸村」と言われるとやっぱアガるな!!。