『真田丸』第25回「別離」

利休の死、秀長の死、そして鶴松の死
これら全てが秀吉の世、豊臣の世の崩壊に繋がるわけだけど、それを時系列に沿って描くのではなく鶴松が天に召された日、その一日の中で回想として描いたことで、より一層茶々様の破滅を導く女っぷりが際立つという・・・。利休切腹の原因も茶々様の何気ない一言だったとかどんだけだよ。
ってところで寧様の胸で慟哭する茶々様とか!!。
鶴松の側で秀吉が鳴らすでんでん太鼓の音と茶々様の胸を裂くような泣き声。
目を合わせずすれ違おうとした茶々様を強引に抱き寄せる寧様に、悲しむことをやめたはずなのに寧様に抱かれ声を上げて泣く茶々様にはもらい泣きせずにはいられませんでしたが、茶々様を気の毒に思う一方で寧様のお気持ちを思うとねぇ・・・。
このお方に子供が出来てさえいれば・・・と思わずにはいられないんだけど、たぶん、それを誰よりも強く思っているのは寧様自身なのだろうと思うと、この人の哀しみは誰が受け止めてくれるのだろうかと。
鶴松が死んだ一日を描くのはともかく、そこに千利休切腹という大きな出来事を絡ませてしまう(回想でその死を描く)構成は賛否両論あるだろうけど、わたしはとてもよかったと思う。この捻った構成によってそれぞれの想い、思惑、そういうものが濃く伝わってきたというか、これまでで最も想像し甲斐があった。
秀長さんもナレ死はナレ死だけど、秀吉を支え続けた弟として見事に最期の務めを果たしてくれたし(秀長さんが利休切腹の後押しをするってのにはちょっと驚いたけど)。
片桐さんと薫様のコントとか、昌幸の「わしが元気になってどうする」とか、大叔父上VS信幸とか、お兄ちゃんのアレとか含めてね。あー、あと松と茂誠のメルヘン再会もあったか(笑)。こうやって書きだすと信繁以外今回の真田は完全なるコント要員でしたが、真田コントがなかったらどれほどドシリアス回になったのかってな話でさ、まぁちょっとコント多めってか余計に思えるものがないわけではないけど、それでもこのへんのバランス感覚が三谷幸喜が売れっ子脚本家たる所以(のひとつ)であろう。
鶴松がいよいよ危ないとなったところで昌幸と家康の思考がシンクロするのもゾクゾクしたわー。アニメなんかではリレー解説としてこういうのよく見るけど、それを実写(ドラマ)でこうまで上手く見せるとは。
これだけ思考回路が同じなら仲良くできそうなものだけど、そうはならないのが人間なんだろうなぁ。とか思ってたら心無い立ち話するし。こういうとこほんと上手い。
ていうかこの場面、シンクロこそしてるもののやっぱり違いはあるよねぇ。共に「豊臣の世は長く続かない」とみながらも、見据える『先』が違う。
鶴松の見舞いに際し、昌幸は鶴松の回復のためになるかもしれないものを用意したのに対し、家康は秀吉の家臣たちに食事という“餌”を差し入れた。これはその象徴だと思う。
あと今回印象に残ったのは、「業」について語りながら黒茶碗で茶を出した利休に「お見事」と言わせた信繁。
利休の崇りについての噂話を持ち出した三成に「もし崇りがあるならばまずは自分だろう」と言う形部の顔色が明らかに悪かったこと。
そしてやっぱりアレですよね。やんないっつったのにならなくてもいい上裸になって水をばっしゃばっしゃ被る三成さんですよね。
清正と正則に水垢離誘われた時点では他にやることあったんだろうし(葬式の準備とかさ・・・)、そんなことやっても無意味だって心から思ってたんだと思うのよ。でも水垢離しに来た。この時点ではもう万策尽き果てたって感じだったんじゃないかな。自分がすべきことはもうないと。言い方悪いけど、あとはもう“その時”を待つだけだと。だけど殿下想いの三成はただ待ってるだけなんて耐えられなくて、だから無意味だとわかっていても水垢離せずにはいられなかったんじゃないかな。もしくは水垢離でもしなきゃやってらんないってところか。
三成の心中がどうあれ、清正と正則は佐吉が来てくれてうれしかったんじゃないかな。きっと佐吉を誘うか誘わないかでモメたと思うの。誘ってもこないだろうって気持ちはあっただろうし、人数によって水垢離の成果に差が出るわけじゃないならば二人でやったっていいだろうに、やっぱり殿下のために三人でやるべきだということになって誘ったんじゃないかなと思うの。そういうの想像しちゃうと佐吉が来てくれたとわかった瞬間、二人はうれしかっただろうし、もしかしたらこれで鶴松様の具合が少しはよくなるのではないかとすら思ってしまったのではないかなーと。だってほら、二人とも(このドラマ内では)単純じゃん?。
まぁ脱がなくていいのに脱いだのには若干引き気味だったけどw、一瞬あっけにとられたものの負けじと水被る清正と正則に、この三人のかつての関係性が見えた気がして、目的を思えば哀しいんだけどでも微笑ましい気持ちになりつつ、でもこういう時間があればあるほど関ヶ原が辛くなるわけで・・・。
形部さんはさ、こういう三成だからこそ好きなんじゃないかな。三成が言う「手を汚す」ことなんて汚したうちには入らないってのも、三成の気持ちを少しでも軽くしてやろうと思ってのことなんじゃないかな。とか思うとものすごくときめきます。