宝塚歌劇 花組シアターオーブ公演『戦国BASARA』―真田幸村編― @東急シアターオーブ

ちっ!ちがうのっ!!宝塚を見ようと思ったんじゃないの戦国BASARAが好きだからなのっ!!!ほんとにっ!!おねがいしんじてっ!!←必死w。


いやぁ・・・わたしの生活に「観劇」というものが日常的に組み込まれるようになって結構な年月が経つわけですが、『宝塚』とは無縁でした。
いや、無縁というのは正確な表現ではありません。このウン十年の中で誘ってもらったことは何十回とあったんだけど、最初は興味がないからと、そして最近では本気の全力で断り続けておりました。なので縁がないというよりも、逃げていた、と表現すべきなのでしょう。その理由は明らかです。
だってわたし絶対ヅカ(の世界)好きだもん(笑)。
わたし好きになったら即全力出すタイプなんですよね。でもわたしのオタク方面キャパシティはもはや金銭面心身面ともに限界で、もうこれ以上新しいものに手を出す余裕はないのです。でも好きになってしまったら止められない。それは自分自身がよーーーーーーーーーーーーっく知ってる。ここまで解っているならば好きになりそうなものには最初から近づかなければいい。いや、近づくべきではない。それはもう明確で明白ですよね。だからわたしはどれだけ誘われようが宝塚には手を出さずに生きてきたのです。
なのに・・・なのにっ・・・・・・・・・・・わたし観ちゃった・・・・・・(←穢されちゃった的なニュアンスでw)もう元のわたしには戻れない・・・・・・。
ってことになるだろうと思ってたんだけど、あにはからんや結構大丈夫でした(笑)。
なんかもっとこう・・・スゲーのかと思ってたんだけど、すごいはすごいんだけどわたしが思うすごさ(キラキラした階段でデッカイ羽根背負った人たちが歌い踊りそれを見て女性客が頬を紅潮させ乙女握りでうっとりハァハァ腰砕けさせられてるイメージ)とはちょっと違って、真っ当にトンチキだったw。トンチキってのは戦国BASARAというトンチキな題材に自分たちを寄せるのではなくごく自然に融合してるってか、あのトンチキな世界観を無理せずとも再現できている(ようにわたしには思えた)ことに対して、でして、あー・・・どう表現すればいいのかなぁ・・・・・・宝塚ってもっと“造りモノ”めいてると思ってたんですよね。舞台上は非現実・非日常の極みというか、ディズニーランドに匹敵するほどの完成された世界観(空気感)を想像してたんだけど、フツーに戦国BASARAで、それならばわたしの知ってるトンチキじゃん?w。逆に言えばあのトンチキさを女だけでナチュラルに再現できちゃう時点でやっぱおかしいんだけどさw、でも理解は及ぶ。
こういう特殊な舞台(ですよね?)において初心者が理解できるってのは結構重要だと思うんですよね。理解ってのは内容・演出の解釈とかそういう話ではなくて、もっとざっくりと“面白さ”を理解できるというかどうかという話。そこがね、宝塚はもっとずっと間口が狭いと思ってたんですよ。それがそうでもなかった。これが最大の驚き。ていうかわたしどんだけビビってたんだってのねw。
まぁでもこれはホームではない劇場で、それこそわたしが思い描いてた大階段+羽根がない特別公演(?)らしいのでより初心者向け(+BASARAファン向け)ではあるのでしょうが、もしわたしのように観てみたいけど敷居高いと思ってる方や、興味はあるけど今一歩踏み出せないと思ってる方がいらっしゃったら、そこまでビビらなくても大丈夫っぽいぜ?とアドバイスを送りますw。とりあえずは『BASARA限定』だけどw。



以下、内容に触れてます。宝塚ド素人どころか↑こんな人間の戯言なんで、もし以下を読まれる方がいらっしゃったらサラっと読み流していただければ幸いです><。




謙信様とかすががマジもんすぎ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
舞台版はもちろんアニメすら超えてると言っても過言ではないリアルっぷりで、戦国BASARAという作品オタはこれだけでも見た方がいい!ぜったいに!!(っつっても今からじゃチケ手に入りにくいと思うけど)。
静止画のみならず動いても喋ってもリアル謙信様はもはやこの世のものではない(三次元ではない)のですが、そんな謙信様が壇上からかすがに向かって「おいで、わたくしの美しき剣よ」(セリフ曖昧)と言いながら両手を華麗に広げると背後のスクリーン(三方面)に高島屋の包装紙のような大輪の薔薇が舞い散ってね、そんな謙信様にかすがが己を掻き抱いて「はあぁあん、謙信様ぁああ〜〜〜んっ」って悶えて駆け寄るんだけど、これホンモノすぎてワロタw。客席結構な大爆笑で、多分BASARA知らないヅカオタの皆様は単純にその演出(描写)に笑ったんだろうけどBASARA好きとしては気持ち的にはかすが同様身悶えしながら歓喜の笑いだったわよ!!。つい最近某漫画原作舞台においてわたしの2.5次元舞台観劇史上有数のホンモノがいたと感想に書いたばかりなんだけど、再現する難易度も含めて思うに薔薇を背負った謙信様&「謙信様ぁああ〜〜〜ん」が10段階で500だとしたらド変態こしゃくなんざ6ぐらいのもんですよ!!。
いやぁ・・・・・・まさかヅカの舞台でこんなものを拝めるとは思ってもみなかったよね・・・。
でも謙信様おかしいんだよ(笑)。なんかね、増殖すんの(笑)。分身の術みたいなの使うんだけど、それによって作りだされた幻影を幸村が斬るじゃん?そしたら粉々に砕けるってのはこの手の技では定番演出なんだけど、その砕けた破片がぽっちゃり三日月型+銀色なもんでいわしの大群にしか見えなくてだな(笑)。
てかそうなの。この舞台色的には蒼紅なんだけど、謙信様対幸村なんですよね。それが猛烈に違和感だったの。舞台オリキャラである織田軍の忍びの策略で信玄が深手を負ってしまい、そうと知ってはいるものの甲斐の虎は必ず復活すると確信なさってる謙信様は再びあいまみえるために川中島(だっけ?)で武田軍=信玄を待つんだよね。でもそこへ現れたのは信玄公の赤いヅラwを被った幸村で、なんかイケイケなこと言って挑発してくるもんだから「おもしろい(ニヤリ)」っつって幸村の相手になってやるわけですよ(そんでそれをどこかからか見ているらしい政宗)。そんで最終的に先に膝ついたのは幸村なんだけど、その直後に美しく崩れた謙信様は負けを認めるのね。そしてお前は立派な甲斐の虎だと、お墨付きを与えるわけです。なんかわたしの知ってる謙信様よりもだいぶアクティブなんですけども(笑)。
そんでそこへ重傷だったはずのお館様がくっそピンピン状態で現れて、負けたはずの謙信様も何事もなかったかのごとく気高くお立ちになられてて、「甲斐は強いはずだ。虎が2匹もいるんだからな」「幸村ああああああああああっ!」「お館様あああああああああああっ!」ってなんだコレ(笑)。
でね、わたし帰宅の道中で考えたんだけどね、謙信様の本命はあくまでも甲斐の虎=武田信玄で、それは揺るがないんだよね。でも信玄は今ちょっと都合が悪いんで、その息子(のようなもの)である幸村がやってきたからじゃあちょっと味見してみようかってんで試してみたらことのほか悪くなかったってことなのかなーと。つまり宝塚版戦国BASARAは謙信様による武田親子丼だと、そういうことでいいのかなーとw。ヅカオタBASARAオタの人にぶっ殺されそうな結論だけど、わたし的にはこれで納得です^^。
でもどーーーーーーーーーーーーしても納得できないことが一つ。
筆頭が幸村を「子猫ちゃん」って呼ぶのは何なの?(まがお)。幸村に「よォ!子猫ちゃん」って挨拶する筆頭とか何なの?(ドまがお)。
わたし筆頭大好きで、正直言うとヅカ版BASARAで一番ハードル高いのって筆頭だったんですよね。だいすきだから。でも終わってみればやっぱり筆頭が一番素敵だった。出番は少ないし(こういう扱いならば筆頭でなくてもよかったんじゃ?とすら思うぐらい)完全にネタキャラ(お笑い担当)扱いで、それはそれで間違ってないってかそういう筆頭だからこそ愛されてるわけで、でもそれは奥州筆頭伊達政宗という男の一面でしかないんだよね。筆頭はもっと沢山の貌があって、だからこそ配下の者達から慕われるし、であるからこそカッコいい。そういう筆頭を作れていたか?っつったら「残念ながら全く」と答えるしかない。でもこれは『真田幸村編』であり、云わば政宗と幸村が永遠のライバルになる前の話、謙信様に虎にしてもらったことでようやく幸村は政宗のライバル足りえる男になったと、そういう話なわけだから、残念面白いだけじゃない筆頭の貌を見せてくれるのは次にあるであろう『伊達政宗編』で!ということなのだろう(その時はぜひ今回の政宗役の方の続投を希望!!)。そんな扱いでありながらも、それでもビジュアルはもちろんチンピラ臭い口調に立ち居振る舞い、そしてドヤ顔が超筆頭で、舞台版筆頭はもう中の人そのものだから当然としてもw、ヅカ版はこれ男役言うても中身女性なんだよなぁ・・・って思うとどれほど研究されたのだろうかと平伏したくなるぐらいヤンキー筆頭でたまらんかったのね。
だからこそなんで「子猫ちゃん」なのかと。なんでこんなチャラく「子猫ちゃん」と呼ばせるのかと。筆頭はヤンキーだけどチャラ男じゃねーんだよおおおおお!。そう呼ばれて怒りもしない(武士たるもの子猫ちゃん呼びされて怒らないっておかしいだろ)幸村と合わせてそこだけが残念すぎた。おそらくこれは幸村が「甲斐の(若き)虎」になる物語なので、子猫→虎ということなんだろうなとは思うんだけど、いや甲斐の虎ってそういうことじゃねーからwと。舞台版には当初あれだけ細かい制約つけてたのに(まぁ最近はずいぶんとユルくなりましたが)、これが許されるってどういうことなのだろうか・・・(ぶつぶつぶつ)。
でも、でもですね、わたし筆頭に色気なるものを感じたことって未だかつて皆無なんだけどw、メットオフしたヅカ版筆頭が!!ヅカ版筆頭のメットオフ姿超エロかったのおおおおおおおおおおお!!。
なのでこのメットオフ筆頭に「子猫ちゃん」って呼ばれるのは吝かではないとか思ってしまったような記憶があるようなないようなあるような・・・w。
あとまぁバトルの最中に佐助がかすがの腰を強引に抱き寄せて口説いてたんだけど、口ではそれっぽいことを冗談で言ってても実際にはそういう行動には出ない、それも戦闘中にそんなことは絶対にしないのが佐助だし、そもそも佐助→かすがは男女のソレではなく敵でありながらも認めてる相手、最重要なのは『敵でありながら』ってとこだと思うんだよね。だからあの佐助はちょっとまぁ・・・違うよなぁとは思うものの、それ見た瞬間思わず全力でときめいてしまったことに対して言い訳はしませんっ!!わたしは激安女ですっ!!w。
あと何気に幸村の父・真田昌幸の描写が良かった。戦いの中で致命傷を負い、これ以上は足手まといになるとお館様に息子を託して潔く自害する昌幸。それを目の当たりにしたその子・幸村に鉄拳注入するお館様。「幸村ァ!」と叫ぶお館様に対し「父上ぇ!」と泣き叫びながら殴り返す幸村でしたが、やがて父上ではなく「お館様ぁ!」になるのね。その瞬間ちょっと泣いた(笑)。
あとあと、バーサーラーバサラーアアアアアーという印象的なテーマ曲の時(今朝無意識でこれ歌いながら出勤準備してて超焦ったわw)、宝塚だとなんて呼ぶのか存じませんがアンサンブルの人たちが忍者姿で刀持って踊るんだけど、その揃いっぷりは感動した!。全員が「個」ではなく「群」に徹してて、まさに群舞とはこういうものなんだなーと興奮しながら圧倒されました。特に2幕に謙信様(だったと思う)を先頭にした▽型群舞があってそれ超滾った!!。わたし基本アンサンブルは必要最小限でいいと思ってるんだけど(チャンバラ劇除く。チャンバラは斬られ役が多ければ多いほど燃えるんで)、わたし比で言うならばこの舞台は「多すぎ」であるはずなのに、全然邪魔に感じなかった。それはひとえに整然としているからだと思う。これが一番「宝塚だなー」と感じたことでした。
あ、あと衣装!!。デザインが同じなだけに(幸村の裸涎掛けはさすがに無理なのでそこは違うけどw)舞台版とは生地と仕立ての違いが明らかで、動きやすさとかあとまぁ予算とか?いろいろ理由はあるんだろうけどこれを見てしまうとペッカペカの舞台版が素人コスレベルすぎて切なくなったよね><。
あ!あとあと謙信様VS幸村で突如剣と槍が青と赤に光り出したのはクッソワロタwww。背後にスクリーンあんだからそこにそれっぽいものを映せば青と赤の光がぶつかりあってる様を描けるだろうに、そこであえてのLED(笑)。しかもどうやら役者がスイッチを押す、つまり手動っぽいとか(笑)。いやぁ・・・予算あるって素晴らしいね!(笑)。



こんな感じかなー。
検索で飛んでこられたヅカオタの方にとっては不愉快に思われる記述があったかもしれませんが、最初にお断りした通り普段底辺舞台ばかり見てる人間の初めての宝塚感想だからしゃーねーなと流していただければと土下座でお願いいたします。
でも楽しかったから!それはもう間違いないから!!。