『騎士竜戦隊リュウソウジャー』第22話「死者の生命!?」

マイナソーの力によって蘇った死者たちと同じように消えたということは、マスターピンクは正真正銘「死者」だったってことでいいんだよね?。マイナソーって死者からも生まれんのかよ・・・・・・(その場合生み主を殺すという最終手段が使えなくなるけどどうすんだろうね・・・)。
毎回マイナソーを生みだしてる人間たちは基本クレオンによって無理やり生まされてるのに対し、総理といいマスターピンクといいリュウソウ族は「自ら」生み出してるんですよね・・・・・・(って、ちょっと待って?それはつまり言い方を変えるとクレオンの関与抜きで自然発生したマイナソーの生み主ってリュウソウ族しかいないってことじゃない・・・?)。

てかマスターピンクはどんな「マイナスの感情」からマイナソーを生みだしたのよ?。アスナとのやりとりからしアスナを「リュソウジャー」にしたことを後悔・心配してるってわけでもなさそうだし(つーかアスナのほかにも「リュウソウピンク」の候補者がいたのかよ。候補者としてそれなりに訓練をしてたんだろうけどいまそのひとたちはどこで何してんのさ?)、仮にも元リュウソウジャーがマイナソーを生んでしまったというならばそこには相当強いマイナス感情がなけりゃ(視聴者目線としては)納得いかないってのにわたしにはそれがなんなのかわからなかったよ?。

前回と今回でマスターピンクは「シャイン&シャドーラプターの説明」と「セトーの説明」という大きな役割を果たしたけど、そのためにマスターピンクを出したってのはいいとして、マスターピンク自身がマイナソーを生みだすという設定が必要だったか?と思うんだけど。家族や恋人を残して死んでしまった人かなんかを生み主として用意して、それによりマスターピンクも蘇りましたってんでぜんぜんよくない?。そうするとゲスト話も必要になるから尺の問題がと言うかもだけど、これまでだってゲスト話をしっかり描いていたわけでもなし、蘇った大勢の死者の誰かが生み主で、きっとういとうい母のように共にいい時間を過ごせたに違いないってんでいいじゃん。マスターピンクが生み主になることとゲスト話が適当になることのどちらを選ぶっつったら100パー後者だもん。
「死者」である「元リュウソウジャー」が『マイナソーを生みだす』ことの重大性がわたしの思うソレとはあまりにもかけ離れすぎてるように感じるのだけど、わたしのほうがおかしいんですかね?。

コウがシャインラプターに受け入れられたことでカナロがシャドーラプターとクラヤミソウルを手に入れた経緯の説明も省かれちゃったし(シャインラプターはセトー曰く「気まぐれっ子」らしいけど、あの声あの口調で喋らせておいて「気まぐれっ子」はないわー。セトーにとってはそうなのかもだけど違和感しかない。この声と口調なら「気位の高い」としてほしいわ)、つーかシャイン&シャドーラプタードルイドンによって宇宙に持ち去られたってな話だけど、それが今は他の騎士竜たちと同様にフリーの状態で存在してるのはなんでなの?なにがあったの?と思うし、そういう“特殊”な立ち位置の騎士竜なのにちょろっと交流しただけで簡単に手を貸してくれちゃう雑さ・安易さは相変わらずで、新たな力を手に入れても熱量全く上がらんしな。おまけにマスターピンクとアスナは何を話してた?→わかった!メルトの悪口!だもん。もはやため息すら出ないわ。
龍井パパとセトーとやらが同一人物ではなく霊体?のセトーが龍井パパの身体に憑依?した存在であることが明らかになりましたが、その設定はさておき(前回マスターピンクが龍井パパを見て「セトー・・・?」と言った記憶があるけど、マスターピンクが「セトー」だと認識しているのが龍井パパに憑依した状態のセトーなんだとしたら結構前から龍井パパは憑依されてるってことになるし、となるとコウ達が龍井家に居候するようになったことも果たして「偶然」なのか?ってことになるけど、たぶん伏線などではなく単に脚本がなんも考えてないだけだろう)セトーがほんとに「霊体」なのだとしたらわざわざ“こういう話”のときにそれを明かすのも心底から理解できないし。