その昔「なんらかの理由で」リュウソウ族は争い分裂し、袂を分かった「海のリュウソウ族」がいることを、なぜコウたちは知らないのか。ドルイドンのこともよくわかってなかったみたいだし、ろくな知識も情報も与えられずに「リュウソウジャー」になる・なれるってなぁ・・・・・・ていうかそれを説明するのが村を出たバンバとメルトの兄弟のほうだって、長老以下リュウソウ族の「大人」たちはなんのために存在してんだよ・・・とますますリュウソウ族に対するイメージが悪くなったのはそれとして、この話単体では悪くなかった。悪くなかったどころか久々にバトルも物語も素直に面白かったと言えるレベルだったけど、そうか、荒川脚本に坂本F監督だったからか。
ういが毎回欠かさずチェックしてる動画が更新されてなくて、動画主は彼女にフラれ(その感情をクレオンに利用され)マイナソーを生みだして、生み出されたマイナソーはカップルや親子を反発させあうという力を持っていると。まずここからして引っかからない。ういがユーチューバーであるという設定を活かしつつ生み主の素性説明とマイナソーを生みだした理由(どんなマイナス感情であるか)が短い尺での描写であっても見てるだけでわかるし、生み出されたマイナソーの能力も当たり前に納得できる。
そしてその能力により(『絆』の有無、その扱いの軽さには目をつぶるとして)コウたち五人がバラバラにされてしまう→コウとカナロの間には絆など皆無だから二人は並立できる→コウがカナロを助けることで絆が芽生える(反発することでそれを可視化させる)→そこへ妹が人質にされる→カナロの妹のために耐える陸のリュウソウジャー→なぜ約束を守る?とバリバリ悪者ガチレウス→妹を助けたければ死ねと言われたカナロは「仕方ないからお前が消えてくれ」と妹に銃を向ける→海に放り出された妹を海中から現れたモサレックスが飲み込む→水を介してテレパシー送ってました(それができることは前もって説明済)→水と電気を使ってキシリュウオーを電極チェンジ→久々のファイブナイツでマイナソー撃破→引き離されたカップルや親子は再会して触れ合うことができ、生み主のDONじろう先生は傷心でこそあれ肉体的には大丈夫でしたって、この流れのなかに嫌な気持ちになる描写・要素がなかったし、なんでそうなるの?説明してよ?と思うこともなく、なにより引き離された一般人と生み主のフォローがちゃんとあったことが気持ちとしてスッキリできた。生み主は言うても女にフラれただけだし、そのうちまた新しい恋が始まるよってな(その程度のマイナス感情だからこそクレオンはボコるという直接的な行動でもってマイナソーの成長を促進させようとしたんだろうし)。
今回の話の肝である「カナロは水を通じてモサレックスと会話(テレパシー)ができる」という設定を腕輪が光る→水を探す→水に手を浸すと海中のモサレックスと話しができるとしっかり説明してくれてるし、メルトが過剰にいじられることもなくアスナも「小さな子が親と離されることがどんなにつらいかわからないの!?」と真っ当な怒りをみせ、コウの真っすぐな熱さがカナロの心を揺さぶると、それらぜんぶ戦隊ならあたりまえの描写だし、冷静に考えたら多分そこまで面白いというわけでもないのでしょうが(メルトとアスナが北海道と沖縄で、トワが鳥取、バンバが京都という「飛ばされた距離」の違いはコウとの絆の強さによるものなのでしょうが、であれば4人が一斉に(同じタイミング)で戻ってくるのはおかしいというか、そこでもうひと捻り、特にバンバとコウの間で何かひとネタあったらさらに良かったと思う)、これまでのことを考えると不快になる瞬間がないから普通に見ていられたってだけで「今回はよかった」となってしまうわ。