劇団☆新感線 39興行・夏秋公演 いのうえ歌舞伎<亞>alternative『けむりの軍団』@TBS赤坂ACTシアター

古田新太池田成志が実質W主人公で高田聖子が敵役とくればそれだけでもう貰ったも同然で、そこに1年以上続いた髑髏城の七人でそれぞれ輝きを見せた早乙女太一清野菜名須賀健太が喰らいつくときたら間違いない!と思っていたわけですが、うーーーーーーーーーーーーーーーーーーん・・・・・・・・・なんか消化不良・・・・・・・・・という感じであった。
劇団員も客演もそれぞれニンというか、所謂鉄板キャラを演じているので安定感はバリバリなんだけど新鮮味は皆無。
唐突に三つ巴の歌とダンス合戦が始まる1幕ラストはいいとしても特に2幕はストーリー的にも「観たい(見せたい)場面」ありきで流れが粗く、タイトルである「けむりの軍団」がそのものズバリ劇中で見せ場となるのですが、ないものをあるように見せる、そこにあるものを利用して策とするというその前振りがしっかりとなされていることもあってこの場面こそ「おお!!」と興奮したもののそこからはチャンバラやるだけやって「そのあと」を映像と文章で説明して終わりだもんで、盛り上がりにかけるというか気持ちの収まりどころがない。

わたしのお目当てである早乙女太一演じる莉左衛門という男で言うと、周りの人間の思惑に巻き込まれ嵌められまくった挙句「裏切り者」に仕立て上げられたと思ったら、宿屋になぜか火を放って(隠れてる者を炙り出すという理由は一応あるけど)この刀に味方の血を吸わせるか!?と言いつつ暴れまくり、その戦いのどさくさの中で自身が先代当主の「脇腹」だと知らされるもなぜか怒りは部外者の古田新太に向かい、目的地に先回りしてヤクザを惨殺して血まみれ状態で待っているという「早乙女太一の詰め合わせ」状態。いやそりゃ見たいよ?。こんな太一はいくらでも喜んで戴きますよ?そのためにホイホイ金も出しちゃうよ?。出すけどね?それだけやってりゃいいだろってわけじゃあないんですよ。そこに「物語」が欲しいんです。
で、わたしが求めるその「物語」とはやっぱり中島かずきの言う「何かを背負わせたら日本一」ということなのだと思う。

莉左衛門は聖子さん演じる嵐蔵院が治める“目良家”の侍大将で、剣の腕はピカ一だけど説明が超絶下手という属性持ちなのですが(これは可愛い。颯爽と登場して台詞を言うものの何いってんだかまっっっったくわからなくって、太一のセリフ回しについて「聞き取りにくい」という声は少なからず耳にするもののわたしはぜんぜん聞き取れますけど?聞こえないって言うならおまえの耳に問題があるんじゃない?と超上から目線で思っていたわたしはその瞬間聞き取れないどころじゃない何言ってんだか理解すらできないことに気を失いかけましたが、その直後に「口下手キャラ」だということが判明し、やだもうびっくりさせないでよ太一ってば可愛さ百万馬力!!!!!となりました。何言ってんだかわからないのはわたしのほうですよね)、女性でありながら戦闘要員としてその下についている(川原さんと同じ立場に見えた)長雨だけは莉左衛門の言いたいこと、言おうとしてることを正確に訳すことができる通訳ポジションなんですよね。そこには「理由」があって、それが明らかになった瞬間その役回りに「なるほどな」と納得ができてしまうところはよかったもののこの件については「それだけ」で終わってしまうのです。正妻と愛人との間で駆け引きだったりバチバチとする女の戦いはあるけど当人である莉左衛門がこの件について何かを発することはなかった。
自分の出生の秘密を知り、たぶん自分の母が誰であるかも解り、それゆえに自分は「裏切り者」としてずっと仕えていた家に捨てられ家中の者たちに刀を向けられることになったってんで自暴自棄になったということならばわかります。でもそこで怒りが古田新太演じる十兵衛に向かうところがわからない。裏切り者の疑いをかけられ牢に入れられ監視されていたところへ「偽」の情報を伝えに来た足軽が実は十兵衛であったと気づき「お前だったのか!」となるのは尤もだけど、それは自分が「脇腹」であるということよりも強い感情なのか?と。

ここで早乙女太一対川原正嗣のガチンコ殺陣対決が一瞬だけあるんですよね(もっと観ていたかったよね。1時間はみていたいよね(ふたりがしぬけど))。川原さんの元にものすごい勢いで飛び込んでくる太一が死ぬほどカッコいいのはそれとして、なぜここになんのドラマも持たせないのかと、わたしはそれが不満でなりません。
川原さん演じる一虎は莉左衛門に対しライバル心のようなものを抱いているように見えました。年若である莉左衛門が侍大将(自分より立場が上)であることが気に入らないというか。なので莉左衛門が裏切り者なのでは!?という空気になると率先して「そうだ!そういえば思い当たることがある!」となるわけです。なので一虎が莉左衛門に対しここぞとばかりに本気で斬り合いを仕掛けることは流れとして自然ではあるけれど、せっかくの太一対川原さんなんだから、たとえば嵐蔵院が一虎にだけ「莉左衛門の正体」を明かし「目良家のために莉左衛門の命を取れ」と命じるとかさ、そんで剣でギリギリし合いながら一虎はそれを莉左衛門に明かし、さらに自分はずっと莉左衛門のことが嫌いだったと言わせるとかさ、それぐらいガッツリ太一を追い詰めてほしかった、ほしかったんだよー!。そんで一虎を斬り、長雨も斬り捨て、それまでの人生の全てを失い自分の存在すら信じられなくなった莉左衛門が怒りと憎しみをぶつけることができる相手はもはや十兵衛しかいない(嵐蔵院は守られてるから)ってんでのヤクザ皆殺しパーティからの古田新太早乙女太一の一騎打ち!ってこれぐらいのものを背負わせて欲しいんですよ!太一を返り血まみれにするんなら!。たとえワンパターンといわれようともいつもの太一といわれようとも、それでもわたしはこれでもかー!ってぐらい背負わされたうえで鬼となる早乙女太一が観たいんです!!。

太一だけじゃない、軍配士として頭は切れるが仕官先がなくてチンピラ子分とつるんでる古田新太にも、元は領民たちから慕われまくりのお殿様だけど能を見てる間に城も領地も奪われ今じゃテラ銭泥棒な池田成志にも、その場限りの会話だけで終わらない「何か」があって欲しかった。だって十兵衛とか古田新太の佇まい、貫禄からしてどっからどう見ても「ただもんじゃねえ」のに仕官もできず浪人暮らしって、「運に恵まれない」ってだけじゃ納得できないもん。見事働きを認められ特例として仕官を認められるも最終的には「有事の際は上に立つもののせいにしちゃうけど、あんた(紗々姫)のせいにはしたくない」と言って仕官の話を辞退するもんで、まあ『こういう男』なんだろうなとは思ったけれども、最後の最後でそう思えてもなあ・・・と。
古田新太がスーパーヒーローやダークヒーローではないからこそ、みんなそれぞれなにかが欠けてる者たちだからこそ、そういうひとにこそひとりひとりの「物語」が必要なのではないか、ということを強く思いました。

その点で言うと、サンボくんのアホ殿とさとみちゃんの側室コンビは情念パンチが効いてて一番良かったし、新感線比として(というか中島脚本に対して)劇団員が演じる人物の密度であり濃度は高めだったんで(ああそうだ!「悪」ポジションの聖子さんと「正義」ポジション(を支える側)のふるちんの間でコウモリポジションになるのかと思いきやこいつもこいつでがっつり「悪」やないか!な粟根さんが槍をぶんぶん振り回すんですが、これがもうキレキレでめちゃめちゃカッコよかったんだ!)、余計に古田新太の十兵衛と池田成志の輝親の「演者頼み」感が浮き彫りになってしまったところはあるのかなぁ・・・。二人のシーン、二人の掛け合いは面白いんだけど、その面白さはぬるま湯につかっているようなもので、まさに職人芸と言っていいであろうそれはそれで心地よくはあるけどそんな『勝手知ったる感』が思ったよりもまったりとした方向に出てたというか。

ってなわけでまとめの言葉を探したんだけど、これかな。
「夏」に観たい感じじゃなかったよね!「夏秋公演」とあるけど完全に「秋」寄りだよね!。