『いだてん~東京オリムピック噺~』第6回「お江戸日本橋」

ピエール瀧デレんのはやっっっ!!!!!(笑)。

そのうちデレるであろうことはわかりきってるとはいえ昨日の今日(前回の今回)でもうお手本のようなツンデレかましてくるとは(笑)。

ようやっとオリンピックに送り出せる韋駄天を見つけたというのにそいつがなんもわかっとらん田舎者で、選手派遣の意義について国は全く理解を示さず、頼みの綱の三島天狗には「オリンピックには行きません。審判としても行きません」とバッサリ断られ(和歌子さんの背後に鎧があるの怖すぎるw)、さらに政情不安なところへ帰ろうとする中国人留学生を引き留めるために自腹で多額の借金を抱えるのに感動と同情してたら(でも生涯返せませんでした・・・って)、金栗君を言いくるめて参加の意志を取り付けた上に「自費で行ってくれ」ってそりゃねーだろうよ治五郎さんwww。

って、てっきり純朴すぎる四三くんは嘉納先生の言葉に心から感動しその勢いのまま兄ちゃんへの手紙をしたためたのかと思いきや、自分が嘉納先生の「口車に乗せられた」という自覚はあるんだなw。

で、四三からこんな手紙を貰ってしまった兄ちゃんがどうなってしまうのか体液的にもとても心配になってしまうわけですがw、いよいよ日本人初のオリンピック選手になるべく走り始める四三なのでした・・・ってのはいいとして、橋の上で運命的な『すれ違い』をするのは孝蔵なのか。
師匠を乗せて浅草から芝まで行く孝蔵のルートと四三の練習ルートが「日本橋」で重なるのにはワクワクしたし実際にすれ違う二人の背後で花火ドカーンってのは「画」として興奮したものの、四三の話は楽しいし孝蔵の話も興味がないわけじゃないけど、その二つを平行して描く意味がわたしにはまだつかめないんだよなぁ。そういう趣向であることは理解してるし、そこを繋ぐのが神木さん演じる五りんの存在ということになるんだろうとは思うものの、物語として落語パートの立ち位置がわたしのなかでどうにも嵌らない。というか、わたしが「今」見たいのは四三と孝蔵ではなく四三と弥彦の話というか対比なんだよなぁ。