『いだてん~東京オリムピック噺~』第18回「愛の夢」

今更すぎるほど今更なんだけど、わたしにとって「要らない」パートは落語パートではなく志ん生パートなんだな、ということを今回改めて、というかこれまでで一番はっきりと思い知った。
オリンピックパートと同じくらい孝蔵の物語も楽しんでるんだけど、「その頃私は」と“志ん生が若かりし頃の自分を語る”というスタイルであることを理解したうえで、志ん生パートがつまらないのだ、ということがわたしのなかで明確になりました。
だから何ってわけじゃないけど、四三の話も孝蔵の話もそれぞれ面白いのになんでモヤっとするんだろう・・・と思っていたことに「答え」が見つかったので、わたしにとってこの線引きは結構重要。こてこてのコント描写は美川くんだけで十分です(スヤさんの「美川」呼び捨て連発ww)。

そして三宅さんはやはり上手い。もうすっかり三宅さんのハリマヤになってる。台詞や流れは同じとしてもピエール瀧のハリマヤと三宅さんのハリマヤとはキャラクター性から「違う」のであろうことがわかるので、一口に「撮り直し」と言っても受ける演技もまたぜんぜん「違う」ものが必要になるのだろうな・・・と想像できるわけで、勘九郎さんを筆頭に現場では大変なことが行われているのだろうな・・・と思う一方で、階上にいる美川くんやスヤさんとの絡みもあっただろうし、駅伝VS金栗四三とかすっごい興味あるのに東海道五十三次駅伝と同様に「ラスト(ゴール付近)」だけって、やっぱり物足りないと思っちゃうの・・・(あとピエール瀧のハリマヤだったらどんな感じになっていたのだろうかとも思ってしまう・・・)。

ていうか可児さんに何があった(笑)。

そして四三おまえというやつはほんとに・・・・・・。