『64(ロクヨン)』最終話

いやあ・・・すごかった。すごいカタルシスだった。OPで表示される県内の世帯数と住人数が何を意味しているのか、原作を読んで着地点はわかっているのに、それでもそれが意味するものが明らかになった瞬間は思わず震えてしまった。
ここまでの全てがあの尾美としのり演じる目崎の慟哭に集約され、そして段田安則演じる雨宮が空を仰いだ瞬間この物語が昇華した。
雨宮の黒ずんだ指先と、公衆電話のすり減って数字が読めなくなったボタン。このボタンは何よりも雄弁だよね。雨宮の人生そのもの。これぞまさしく映像の力。
そして雨宮と幸田に段田安則萩原聖人をキャスティングしたこと。静かな狂気と執念を胸に秘めた男たちをこの二人が演じたこと。その説得力。このドラマに勝因なるものがあるとすれば、その筆頭はこれだと思う。
雨宮家の仏壇に幸田からの手紙があるというワンカットだけで二人がどこでどう繋がり目崎への復讐を実行することになったのか、その説明はなかったので想像するしかないんだけど(原作では三上の想像(モノローグ)の形で説明があったはず)、雨宮の執念と幸田の悔恨が共鳴したというか、二人が結びつくことが気持ちの部分で容易に納得できてしまうんだよね。
復讐を果たし目崎の娘の携帯を捨てたハギーの背中、すっごいよかったわぁ。
そしてわたしの尾美としのり。金銭目的で自分の娘と同じ年頃の子供を誘拐したのみならず殺害し、その後市内でのうのうと暮らし続けるだなんて普通の神経じゃできないことだと思うんだけど、それができちゃう、自分がやったことに対する報いであることを突きつけられ、それでも自己保身のために告発文の該当箇所を破って食べて隠蔽するとかなんという鬼畜っぷり。あれだけ娘を返してくれと絶叫していたのにかつて自分が犯した罪を暴かれた瞬間だけは紛れもない鬼畜顔だった。この普通の人の皮を被った鬼畜、犯人に振り回されて車内で絶叫するよりもこの瞬間の気持ち悪さこそがわたしの尾美としのりなんですよ!!(ただ紙を破って食べるという目崎の行動は紛れもない“証拠隠滅”なわけで、もうちょいコソコソと、何をやってんだかなかなかわからないような演出のほうがよかったとは思うけど)。
でもなにより素晴らしいのはピエール瀧が「カッコいい」ことですよ!!!。見た目とかそういうことではなく、必死に働く警察官として必死で生きる父親として、三上義信という男がカッコよかった。
・・・でもね、見た目とかそういうことではなくって書いたけどね、泣きながらお蕎麦?ラーメン?を食べる三上ってかピエールのぼってりした腹回りにキュンキュンしてしまいました・・・・・・。なにこの生き物超愛おしい///って・・・。
あとあとその翌日?朝早くから庭に出てる妻に「おはよう」って言うこの声音!!手には紙パック(ストロー付き)のジュースだか牛乳だか持っての「おはよう」ってこれ!!!これがものすっごい素敵で瀧と結婚したいと真顔で思ってしまって次の瞬間しにたくなりました(笑)。
期待はしていたものの「主演・ピエール瀧」が果たしてどちらに転ぶか・・・という思いもあったわけですが、結果的にはピエール瀧でよかったと思う。瀧の(演技力の)拙さが三上というキャラクターの無骨さ不器用さの中にある繊細さ、優しさ、そういうものに上手いこと結びついて『人間味』のある三上になったと思う。ていうか瀧ものすっごい頑張ったよお!。


原作を楽しんだ者として、充分満足いく映像化でした。これだけ見応えあるドラマを作ってくれるとドラマ好きとしてすごくうれしいし、希望になる。そんなドラマの主演がピエール瀧であるということも含めて。
が、ただひとつだけ・・・
二課長があれだけ頑張った理由に触れてほしかったです・・・・・・。やる必要があるわけじゃないし、それやって日吉のことに触れないってのもどうかと思うんで(わたしはラストに掛かってきた電話は日吉からだと思ってるんだけど)やらなくて正解なのかもしれないけどさー、映像化したら思いのほか萌えキャラだっただけにニヤニヤしながら報告する諏訪とあわせてぜひともここはやってほしかったところ。