『64(ロクヨン)』第2話

車内の三上が幸田の姿をとらえ、そこから幸田メモの中身=過去の隠蔽が明らかになる流れはドラマならではの緊迫感だった。初回はビジュアルこそあってるものの口開いたら三上のイメージとは違うかなぁ・・・と思った瀧も、この車内で事情を話せと迫る様はいかにも刑事畑(刑事課)の人間って感じで、だいぶ脳内の三上像と瀧の三上が重なってきたし。
それから床屋で雨宮が顔を剃られてる時電話の音が鳴りっぱなしになってるカット。こういう心象風景はドラマならでは。このワンカットがあるから、仏壇にこんぺいとうを供えながら(そこに幸田からの手紙があることを確認して)すすり泣く三上を見て、雨宮が長官の訪問を受け入れると心変わりした気持ちというか、心の動きがわかるんだよね。
その最たるものが二渡に対する苛立ちから水溜りに足突っ込んだら泥が顔にかかっちゃった三上ですよ。これ偶然なのか演出なのかわかんないけど、瀧がすごくいい表情してたこともあってすごく印象的なシーンになったと思う。
でも日吉の描写はドラマとして説明不足かなぁ・・・。日吉がもともとどういう立場の人間であるか、それがわからなければ引きこもりになってしまった理由、日吉母が警察を憎む理由がわからないわけで、“この程度”のことでなんで引きこもりになってんだ?と思われても仕方ない。当然今後日吉の背景が描かれるはずだけど、それについては今回説明しちゃったほうがよかったんじゃないかな。美雲が飲み会に出たがる理由、三上にこうまで強く止められても引き下がらない理由も表面的な意味はわかってもその背景まではドラマだけではわからないからなんでこんな言い合いしてるんだ?と思ってしまうのではないかと。
“過去の事件でミスったせいで現在引きこもり”“自分だって役に立ちたいからと上司に止められても飲み会に出る”という現状自体は見てればわかるだろうけど、なぜ引きこもりであり上司への反発でありってなことになっているのか、そこの説明が不足気味かなーと。そういうの全部ひっくるめての人間ドラマだと思うんで、見せ方・・・なのかなぁ。まぁ原作既読者としてはそこいらへんわかってるんで問題ないんだけど。