『あのときキスしておけば』第2話

蟹釜先生の魂が素性のわからない“おっさん”のなかに入ってしまった展開が本格的に始まるにあたり、期待よりも不安というか、『井浦新に振り回される松坂桃李』『中身が女の井浦新』を見たいでしょ?という作り手の意図が見えてしまってゲンナリするのではないかと思う気持ちがあったわけですが、麻生久美子が演じる蟹釜先生が入っているとしか思えない井浦新の蟹釜先生っぷりに度肝を抜かれゲンナリするどころじゃなかったです。

男女の間で入れ替わりと言えば高橋一生綾瀬はるかの記憶が新しいけれど、天国と地獄では入れ替わりを解りやすく見せるために2人に「癖」を用意し、さらに刑事と殺人犯というわかりやすい属性も付与してそれを描いたわけですが、こちらは特にそういうものはなく、漫画家・蟹釜ジョーこと唯月巴という女性のどちらかと言えば“強め”のキャラクター性だけでその精神が身体に宿ってしまったと違和感なく思わせる井浦新すげーなの一言ですわ。って、初回では松坂桃李すげーなの一言だったわけですが。

ていうか「違和感」と言えばさ、とーり演じるモモチや岸本佳代子演じる巴の母親の反応が普通で、天国と地獄の八巻とか五木さんとかやっぱあたまおかしかったよな(笑)。

唯月巴がわりとエキセントリックな人間であることだし、その母親もちょっと変わってるかなんかでおっさんの中に娘がいることを受け入れてしまうのか?と思ったけど、あれだけ他人が知ることが難しいであろう思い出を語られても「そんなの調べればわかるでしょ」と取り付く島なく「信じない」という普通の反応にホッとしたもんw。

そしてすぐそばで新作を描く姿を見ていながら、いや見ていたからこそ目の前のおじさんがあの美しい蟹釜先生だなどと信じられないというより脳が拒絶したものの、そのおじさんが描いたという蟹釜ジョーの原稿を読んで「蟹釜先生だ」と信じるという流れにはオタクとしてグッとくるものがありました。

それだけに、最後の“抱擁”がギリギリのラインなのでこれ以上“見世物”的な描写はしないでほしいと思うんだけど、無理だろうな・・・。

蟹釜先生の作品を読んだ者といえばもう一人、元担当であり元夫の三浦翔平もそうで、現時点では目にした“蟹釜先生の原稿”が“本物”であると確信しているだけで、唯月巴の死については受け入れているであろう翔平がこの先続々と?原稿がアップされるにつれどんな反応を見せるか楽しみだし、モモチが働くスーパーの同僚が“蟹釜ジョーのアンチ”であるというこの設定がどう活かされるのか、わざわざこんな人物を入れた意図についても興味がある。