『烈車戦隊トッキュウジャー』終着駅「輝いているもの」

最終回でネロ男爵の想いが陛下に届いたよおおおおおおおおおおおおおおおおお(ノД`)・゜・。
グリッタちゃんのシュバルツ様への想いがキラキラならネロ男爵の陛下への想いだってキラキラじゃないの?ってずっと思ってたんだけど、「よせ・・・テメエら、この期に及んでキラキラすんじゃねえ」って最後の最後でマジ報われた(ノД`)・゜・。そのあと根性で闇出してゼットに取り込まれるとか忠臣冥利に尽きすぎんぜ(ノД`)・゜・。


夢や希望や想像や祈り、それら全てに通じるのが『イマジネーション』だってのはわかりました。そんなざっくりとした概念レベルの話だったんだ?と最終回にして思ったことはそれとして、とりあえずわかりました。
そんでゼットがずっと求めていたキラキラってのは昴が浜の星祭りで住民が流す灯篭が作った光の道のことだったと。
住民が灯篭に込めた想い、それこそがキラキラだというのならば、キラキラを手に入れたいというゼットの「希望」はキラキラじゃないの?。希望とは“或ることを成就させようと願い望むこと”であり“その事柄 ねがい のぞみ”という意味で、とすればキラキラを欲するゼットの想いは登場人物の誰よりも強い希望であり、夢と言ってもいいものなのではないかと思うんだけど、でもグリッタ嬢曰く「闇あってのキラキラ」らしいんで、ようやっと求めてたキラキラがなんだったのか解ったものの闇がなくなったら(キラキラを手に入れてしまったら)それはもうキラキラではなくなってしまうから無理・・・ということ?。
考えてもたぶん答えは出せないと思うんで、わたしには理解しきれない作品だったということでもういいやーって感じなんだけど、それにしてもこんな掴みどころのない話で『敵』というポジションを演じきった兼悟はよくやったと思います。
ていうか正直な話、レインボーラインよりもシャドーラインのほうがよっぽどキラキラしてたと思うの。それぞれがそれぞれの想いを背負って精一杯やるべきことをやってたのはむしろシャドーラインのほうだったと思う。グリッタちゃんを消せなかったゼットこそがキラキラだよね(でもゼットはそのことに気付かない。多分こういう鈍感ってか他人のキラキラには敏感なくせして自分のこととなると全然見えないのがゼットという男なのだろう)。そのシャドーラインをたった一人の人間態として率いた兼悟の皇帝ゼットはカッコよかったです。シャドーラインという組織が何を求めているんだか(何をやろうとしているんだか)わからなくても、それでもカッコよかった。それだけに、相手が実は子供などではなく、もっとしっかりとした戦隊だったならば・・・幹部を倒せる戦隊だったならば・・・という思いがどうしても残ってしまうのだけど、でもそういう戦隊だからこそ兼悟が敵にキャスティングされたんだろうから、うん、毎週兼悟のゼットを見られて楽しかった!ってことで。


というわけで、ニンニンジャーへのバトンタッチ。
カニンジャー(藤井くんだよね?)の手首をグイっと掴んで強引にパチンとタッチし、肩ぽんしてシュッってして爽やかに去っていくトッキュウ1号・・・ていうかオッシー!おっしー!!!
最近のイケメン俳優は背が高くてスタイルがいい人が多く、そんな人たちの『変身後』を演じるのにおっしーの恵まれたスタイルによってどれほどの説得力が生まれたことでしょう。そしておっしーの演技には暖かさがあった。たとえクールな役でも人間味があって、シンケンブルーもゴーカイブルーもだいすきだいすきだいすきでした。もっともっとおっしーのレッドが観たかった。
押川善文さん、ほんとうにお疲れさまでした。押川さんのこれからの人生が素晴らしいものになりますように。ありがとうおっしー!。