わたしの「チ。」スペックはアニメ視聴のみです。初回放送時3話まで見てわたしには高尚すぎて無理やなと視聴を諦め、その後この演技巧者ばかりを集めたキャスト+脚本は長塚圭史 という舞台化情報を知り、ちょうど始まった再放送を視聴しました。
まずは最後までアニメを観てよかった。壮大で難解な物語なんでアニメを1度見ただけではしっかり理解ができたとは言い難いけれど、この作品を知ることができてよかったと心から思う。舞台化してくれたことにマジ感謝。
という心持ちで舞台を観ました。
一度だけとはいえアニメでちゃんと物語を見知っていたからかもしれないし、舞台を観るという行為に慣れているからなのかもしれませんが、非常に解りやすかったです。これが最大の驚き。
原作は全8巻あって、アニメだと25話をかけて描いた物語を3時間弱で上演するとなると相当あちこち削ぎ落さねば収まらないだろうと思ってたんだけど、最終章を除き3章までみっちりフルで描かれていて、どう考えても3時間じゃ無理だろうにちゃんと「観ればわかる」ようになっていて、どんな脚本・演出マジックなんだよ!?とほんとうに驚いた。
章ごとに「主人公」が変わるので、当然物語の「舞台」も変わるんだけど、大掛かりなセットを造らずに大きさの違ういくつもの灰色の直方体を動かして「場所」をつくるという演出なので、場面転換の暗転がないんですよね。
直方体を動かすのは「ダンサー」さんたちで、つまり人力。だからこそこのスピードでの場面転換が可能で、加えて身体能力がバリ高な役者たちが結構な段差をもろともせず登ったり下ったりすることで原作が「再現」されていることに感動しっぱなしでした。
例えばプロジェクトマッピングを使うとかさ、もっと・・・ラクと言っていいのかわかりませんが、他にも方法はあると思うの。
でもこの作品はできる限りの「肉体」で表現していた。
特に印象に残るのは「馬車」の演出で、四角い木枠を役者が持ち動かすことで馬車として見せるんだけど、これが15世紀前半という「時代感」の表現としてとても効果的だった。
なるべく舞台の内容について情報を入れずに見たかったので見ないようにしていても、この木枠を持ってる写真が目に入ることがあってなんのシーンなんだろうと思ってたんだけど、常に木枠を動かし(持ち手がポジションを変えつつ)「馬車」の動きとする演出になるほどねー!となりました。
それからなんといっても素晴らしかったのはバデーニさんが出した問題を解くために書庫に忍び込みコルベさんの本をこっそり読むヨレンタさんが喜び震えるシーン。
ヨレンタさんの周りで本たちが踊り、本に囲まれたヨレンタさんが歌うんだけど、三浦透子の歌声のすばらしさと相まってまさに『感動』が体現されていた。
そうなんですよ、この作品「歌」もあるんです。
歌うのはバデーニさんとヨレンタさんとドゥラカとそれからノヴァクさんなのですが(吹越さん演じる物乞いの男も歌ってたかな?踊ってたのは覚えてるんだけど)、どの曲も耳心地がよくって、ていうか成河ちゃんまた歌巧くなってんだけど!!!!!。
舞台上手に二人のミュージシャンが居て、管楽器を初めいろんな楽器を演奏するんだけど、この作品は「音」の使い方も見事だった。3時間全て「名場面」と言っていい舞台のなかで「音」もそれぞれの場面に「存在」していた。
わたしシュミットさんが好きなんですけど、ドゥラカを追ってきたノヴァクさんとシュミットさんが闘う場面でスネアドラム?下げたダンサーさんが舞台後方に現れて、拳をぶつけあう二人に合わせてドラムを叩くという演出には滾らずにはいられませんでした。めっちゃ熱い!!。
いやまあどんな世界観!?とちょっと笑っちゃったりもしたんだけどw、ていうか闘ってるのが天魔王同士だからかあれ?なんかちょっと新感線っぽい??とか思っちゃったりもしたんですけどねw。
闘いと言えばバデーニさんのために時間を稼ぐべくオクジー君がノヴァクさんと闘う場面なんだけど、「ちょっと前までは早くここを出て天国へ行きたかったけど、今はこの感動を守るために地獄へいける」と言い切りバデーニさんにアーメンと祈ってもらい地獄へ向かうオクジー君が両手に棒を握った瞬間闘いのスイッチをバチッと入れたのが目に見えて「わかって」ゾクっとした。
この舞台のなかでオクジー君が「代闘士」であったことについては言及がなかったような気がするんだけど、異端審問官たちを相手に両手の棒をぐるぐる回して間合いを取るオクジー君は「闘いなれている」ことが明白で、この場面のみならずあちらこちらでそういう動き一つで各キャラクターのバックボーンや過ごした時間を想像させる描写があった。
それゆえのこの「濃度」であり、だからこその「満足度」なのだろう。
そしてこの時のオクジー君が荒々しければ荒々しいほど、ノヴァクによる拷問が激しければ激しいほど、バデーニさんと共に処刑台に吊るされたオクジー君の「今、俺の目の前に広がるこれが地獄の入り口って景色には見えない。今日の空は、絶対に、綺麗だ」が超絶説得力を持つんだよね。
「今日の空は、絶対に、綺麗だ」はこれまでに見た窪田正孝史上、一番と言っても過言ではない瞬間(演技)だった。
そりゃあ隣でブルブル震えてたバデーニさんも「フッ」と笑うってなもんですわ!!。
親はアニメなんで各キャラクターのイメージは声優の演技に依るところが大きいのですが、それで言うと成河バデーニはわたしのなかのバデーニ像とは結構違いがありました。
そこまで傍若無人な感じはなくマトモの範囲内で理知的な人という感じで、アニメよりも人間味を感じさせるバデーニさんなんだけど、この「フッ」でアニメのバデーニさんとビタッと重なって、成河さんのそういうところ・・・ほんと最高な・・・。
台詞で言うと、女だからと自分の名前で論文を世にだせないことに絶望しかけても、それでも文字は奇跡だと、どうしようもなくこの時代に閉じ込められていても文字となった思考はこの世に残り未来の誰かを動かすことだってあるという想いを込めて自らが文字を教えたオクジーさんが書いたものと巡り巡って再会したヨレンタさんの「やっぱり・・・文字は奇跡ですね」も最高だった。
そしてやはり「全歴史が私の背中を押す」ですよ。
ここは間違いないと確信してたけど、確信をはるかに上回るヨレンタさんの「全歴史が私の背中を押す」だった。この台詞を聞けただけでチケ代の元が取れた(いつもながら金でしか気持ちを伝えられなくてすまない)。
そんでもってノヴァクさん。森山未來のノヴァクさん。
舞台版はドゥラカに反撃され致命傷を負ったノヴァクが、ラファウの幻影と問答したあと、娘が天国に行けますようにと神に願い祈るところで終わるので、「悪役」であるノヴァクを物語の軸というか始点であり視点として構築されているのですが、まさに森山未來ありきの舞台版「チ。」だと言っていいと思う。
森山未來のノヴァクはすべてが極上だった。
舞台とは、総合芸術であるということを改めて実感する素晴らしい時間でした。
どうかなにごともなく最後の幕が下りるまでそれぞれの人生を生ききることができますように。