Musical『KANE and ABEL』@東急シアターオーブ

世界的ベストセラー小説をオリジナルミュージカルとして世界初上演するとのことで、ジェフリー・アーチャーの原作小説を読んだのは中学の頃なんで勤勉なオタクを自称するわたしはもう一度原作を読んでから観るつもりでしたが、公演日を1週間勘違いしてましてチケットを発券したら明後日の日付が印字されてたもんでコンビニを出てしばらく呆然としてました。マジでチケット三度見してそのあとチケットを取ったプレイガイドのマイページにアクセスしてチケットの日付が間違ってないか確認した。それぐらい思いっきり勘違いしてました。老化こわい。

と長々言い訳しましたが、ほんとうに大枠のストーリーしか覚えていないと思いきや、舞台上で描かれるすべての場面が展開として記憶の中にあることに驚いた。
アベルの娘・フロレンティナを語り部にし「スナップショット」という言葉でまさにスライドを切り替えるようにして上下巻のそこそこ長い原作のエピソードや場面を切り出して繋げる脚本なんですが、切り出されたエピソードであり場面は文字通り「すべて」わたしの記憶にあるもので、それはわたしの記憶力が優れているなんてことはなく、それだけ物語の骨子がしっかりとしているということだろう。

ケインとアベルそれぞれの人生が直接交差することはほとんどない原作を、ふたつの白くて大きな立方体を駆使して「並行」させ「同時」に描くという構成で、かなりのテンポで場面が切り替わり物語が進むので忙しなさを感じなくはなかったものの、原作小説を余すところなくミュージカル化できてるな、という印象です。読み直さなかったくせに偉そうですが。

2人の息子と娘がそうとはお互いそうとは知らずに出会って父親の猛反対を押し切り駆け落ちし、その後事業を成功させ故郷に錦を飾りました!という、特に娘(フロレンティナ)つええ!!という結末は、50年以上前の作品なのに「今」にフィットしてる感じが面白いなと観ながら思ったんだけど、ケインとアベルという古典を「今」ミュージカル化しようと思った理由がそこにあるなら、フロレンティナをストーリーテラーとするこの構成・脚本であることに納得です。

世界観・時代的にもっと作りこんだセットでくるかと思ってたけど、このテンポ感で場面を切り替えるにはこのセットじゃなきゃ無理だよなとこちらも納得ですが(アベルたちがアメリカにやってくる船の演出は特に巧かった)、セットを「スタッフ」が動かしてるのはちょっと不思議な感じでした。ふっつーーーに「スタッフ」なんですよ。
最初に気づいたときは全員全身黒だったんで歌舞伎でいう「黒衣」なのだろうと思ってたんだけど、白いブルゾン着てるときもあって、2つの立方体はまっしろなんで動かす場面のライティングによって舞台上が明るいときは白に変えてるのだろうと推察するけど、白いのは上着だけでボトムは黒だから「見える」んで、そのために没入感が削がれる面はあったかな。

あと演出的に一か所どーーーーーーーーーーーーしてもツッコミたいところがあって、植原卓也くん演じるケインの親友マシューが病で死んでしまう場面なんだけど、マシューが寝てるベッドにケインがおもむろに潜り込んで横に並んで寝てるのはなんなのw。
タッくんのマシューは上川一哉さん演じるアベルの相棒ジョージと対になるポジションだけど、ジョージはソロ曲があるのに対しマシューはなくて、そこはまあ・・・タッくん比で随分とうまくなったとは言え歌の人ではないので仕方がないなと思ったし、形的には「ケインの腕のなかで死ぬマシュー」だし全然笑うようなシーンではないどころかマシューの「見せ場」として用意された演出であることは間違いないんだけど「え?なんで隣で寝るん?ケインさんなにしてるんです??」と思わずにはいられなかったw。


W松下をはじめとするキャストはそれぞれ適材適所という感じでした。

アベルがケインに復讐を誓うキッカケとなるホテル王・リロイを演じる山口祐一郎さんは出番としては「わずか」と言っていいと思うんだけどさすがの存在感で、飛び降りるシーンはわかっていても衝撃だったし、その後アベルに宛てた手紙を読む声音の優しさが辛い。

それぞれの親友マシュー&ジョージ同様愛加あゆさんと知念里奈さんが演じるそれぞれの妻ケイトとザフィアも対というかシンクロさせる形で描かれるんですが、2人の芯のある強い歌声がそこまで掘り下げられないケイトとザフィアの人間性を伝える力となっていて、とても良かった。

この物語で実は最も重要なのは今拓哉さんが演じるヘンリー・オズポーンだと思ってるんでオズボーンのソロ曲がなかったのは残念。

アベル役の松下優也は演技的にも物理的にも「圧!圧!圧!!」。
原作を知らないとアベルがケインにここまでの憎しみを抱くようになる理由がはっきりとはわからないかもしれないところを、祐様を除き舞台上の誰よりも目立つガタイを活かして大きな演技をすることで「視覚」で理解させてくるんですよね。
対して松下洸平のケインは(優也と比べて)線が細いんだけど、自分の意見は絶対に曲げない強さというより頑固さかな、それを感じさせて、ゆえに「プライド」が邪魔をして融資をしたのは自分だと最後まで言わなかったのもわからんではないな、と思えた。まあ言えよって話なんだけどw。

それぞれの物語を横に並べて見せる構成なんで2人が同じ動きをする場面が結構あるんですが、松下洸平松下優也のそもそもの“素材の違い”が生まれ育ちをはじめとするケインとアベルの「違い」に直結していて、コンビの相乗効果という意味でとても良かったし、1幕ラストの2人が感情をぶつけ合う曲は声と声でバチバチ殴り合うのではなく2人の声が絡まり合う感じで、こういう曲をこういう声(質)で聞くことってあまりないんで(聞いたことない、と言ってしまってもいいかも)めちゃめちゃ気持ちよかった!。