『騎士竜戦隊リュウソウジャー』第47話「幸福と絶望の間で」

地球を守るためにエラスによって作られたものの、内部闘争を始めたことでまわりまわって今現在こんなことになっているというのに「誰でも過ちを犯す。それは仕方ない。確かに争いの歴史はあった。それはもう変えられない。だから俺たちはその歴史の上に立ち生きていく」って、リュウソウ族がそもそもの元凶なのになにこのまるで他人事な言い分・・・・・・とは思ったけど(それはもうしゃーない。だってわたし心底コウのことが嫌いだもん)(でも実にリュウソウ族らしい言い分ですよね。いいか悪いかはそれとして蛮族としての筋を通しきったところはすごいと思う)、アスナ渾身の叫びは素直に燃えた。

その前にようやっと婚活が実って結婚までこぎつけたのにそれが「ただの幸せな夢だった」と理解したカナロに「このまま戦っても(エラスに勝っても)荒廃した世界が広がってるだけで、そんな世界に人々が目覚めても幸せなのか?。夢の中は幸せだった。もし今世界中の人が同じように幸せな夢を見ているとしたら、このまま眠り続けているほうが幸せなんじゃないか」と言わせたところで、

「いくら夢のなかでおいしいもん食べたって、全然おなかは膨れないっつーの!」

これは問答無用で横っ面張り飛ばした感じだよね。
これに頷けない人間はいないもんね。老若男女、子供も大人も関係なくこの叫びは「わかる」。
作り直すために地球を荒廃させました、なんて話でなくとも、辛い現実から逃避できるなら、幸せな夢のなかにいられるのならそっちのほうがいいって人はいるだろうよ。だけど夢は夢。夢のなかでどれだけ幸福であってもそれは現実じゃない。そんなことはわかってる、でも・・・!ってな感情を「夢じゃ腹は膨れない」という超現実論で一刀両断してみせた。

役者本人が大食いだからってんでアスナも大食いキャラになったそうですが、それは別にいいんだけどその設定を話の中で活かせてたとは到底言えず、ただ『紅一点なのに大食いで怪力』というキャラってだけで、それ以上の意味はわたしにはなにも見て取れなかったんだけど、最後にしてようやっとアスナの大食いが活きたことにちょっと感動しちゃったわ。安い感動だけど。

(頭の後ろのほうでは荒廃した世界をシャインラプターで元通りにしてから人間を目覚めさせれば無問題じゃない?とか考えてましたが。さらに言うとアスナの台詞も「お腹膨れない」「夢の中に私の仲間はいなかった」って自分の話しかしてなくって、カナロの話も「世界中の人」とは言いつつ結局のところ自分の結婚のことしか考えてなかっただろうし(でもカナロは以前「結婚」ではなく「使命」を選んだこともあったよね・・・)、ラス前であっても自分本位なんだな(そういう意味では不特定多数の女性に「あの人カッコよくない?」とヒソヒソされる+オトちゃんの存在無視というメルトの夢にメルトの本心を見た気がするわ・・・w)さすがリュウソウ族・・・とは思いましたが)
(あと夢の中に私の仲間はいなかった!とアスナがキレてたけど、エラスが見せた夢ってそれぞれの願望を“実写化”したってことじゃないのかな?。カナロの結婚相手が元婚約者のミヤやこれまでに交流のあった女ではなく見知らぬ女だったのはカナロの理想を具現化した女性ってことだろうし。だとしたらアスナの願望はただ単に「ラーメン屋の大盛を完食したい」ってことであって、別にそれを仲間に応援してもらいたいとは思ってないからあの場に仲間がいなかったってだけなんじゃないのだろうか。だってコウの夢のなかにはナダがいたしね?。アスナの願望に仲間の存在は関係ないのにそこに仲間がいなかったと文句言われてもエラスも困っちゃうよねえ?w)

ていうか、ラスボスに啖呵を切り、心折れかけてる仲間たちを叱咤というか、戦わなくっちゃだめなんだと訴える役割を「ピンク」にさせたこと、これにはかなり驚いた。性別的なこともそうだけど、こういうのってやっぱりレッドの役割だし、この作品は特にその感じが強いじゃん(そういう意味では、ういちゃんねるはかつてのやつだし、ナダ出てくるし、コウの夢は5人と比べて違和感を覚える材料が多かったのに、クレオンに起こされるまで(これがまた・・・びみょう・・・)これが夢であることに気づかないこともちょっと意外だった)。これまではずっとコウの役割だったのに、最後の最後でアスナに託した理由であり意図は知りたい。