『エリザベート』@帝国劇場

2015年公演にルキーニ役で尾上松也さんが出演するということでその時初めてエリザベートを観たのですが、松也ルキーニもWキャストだった山崎育三郎さんのルキーニも「物語の外」にいるように見えて、だからそれがルキーニの在り方であり役割だと思っていたんですよね。
で、2016年公演で成河さんのルキーニを観たらなんだこれ!?と、思いっきり物語の中心にいてなんなら主人公じゃねーかと、わたしがそれまでに観たルキーニとはあまりにも別モノすぎてびっくり仰天いたしまして、そのときはただただ混乱だけがわたしのなかに残りました。
なのでそれをもう一度確かめるべく3か月のロングラン公演で確保したチケット「全て成河ルキーニ」で今回のエリザベートに臨みました。チケット戦線の真っただ中にいる間はひたすらあらぶっていたものの、いざ枚数を確認してそれがぜんぶ成河ルキーニだと思うとさすがにやりすぎたというか、自分でもどうかな?とか思ったりしたんですが、あにはからんや余裕でしたわ。何度見てもまったく飽きない。飽きるどころか自身は変幻自在で劇場の空気を自由自在に操り制する成河ルキーニに毎度毎度翻弄されて終わりましたわ。もはやわたし的にはエリザベート=成河ルキーニ。


2016年公演の成河ルキーニの記憶は言葉選ばずに言うなら「ハイテンションマジキチ」でしたが、記憶のなかの成河ルキーニと比べて今回の成河ルキーニは「理性的に全力でずっと狂っている人」でした。記憶のなかでは目がイッちゃってる人だったけど、今回は目の焦点はちゃんと合っててでも目は合わない(こっちを見ていない)・・・みたいな感じだった。ファーストインパクトもあって“怖さ”は前回のほうがあったように思うけど、狂人としての強度は今回のほうが断然上。その状態で瞬発力があって持続力があって爆発力があるとか無敵すぎる。
エリザベートの物語の枠外ではなく見ているまんま枠内のド真ん中で煽りに煽りまくり、そしてトート閣下に「ルキーニ」と名を呼ばれた瞬間「狂言回し」から「暗殺者」へ一瞬でその役割を変えるのですが、これがほんっとにすごい。トート閣下の元へ絶頂寸前って顔でフラフラと吸い寄せられていく成河ルキーニの気持ち悪さと言ったらあまりにもガチすぎて世界観崩壊しそうな狂気なのにナイフを手にした瞬間から存在感がフッと消えてただの「暗殺者」になってしまう。
エリザベートを刺したあと薄ら笑いを浮かべながら胸を張って歩き去るルキーニの姿、これだけが歴史の中での「真実」で、あとはただの「ルキーニの妄想」だったのでは?とすら思うこの落差に毎度「成河すごい・・・(呆然)」と思うことしかできなくなるのです。その時点でわたしの全気力・脳力は使い果たしてしまうので、おかげで毎回そのあとの『ついにエリザベートを手に入れるトート』を抜け殻で見る羽目に・・・・・・おのれ成河ルキーニめ!。

つーか成河さん歌めっっっっっっっっっっっっっっっちゃ上手くなってんだけど!!!。声量も声圧も文句ナシで井上芳雄さんのトートと殴り合いの勢いで張り合ってんですけど!!!。しかもそれ最後までキープし続けてますからね・・・3か月間ずっとあの「キィーーーーーーーーーッチュ!」ですからね・・・・・・階段から手すりというか壁というか柵というかをひょいっと飛び越えて落下するのも最初から最後までずっと変わらず身軽にこなしてたし、もしかしてリアル人外なのではないか?と本気で疑うレベル。

舞台上で語られる「エリザベート暗殺までの道のり」は「ルキーニの妄想」だったのでは?と思うと書きましたが、(自分のなかから生まれた)「黄泉の帝王 トート閣下」について語りたいだけ、というように見えるんですよね、成河ルキーニは。現実(実際)は「偉いヤツなら誰でもいいから殺したいと思ってたらエリザベートが居るというので刺しました」というだけ、ただそれだけの話だけどそれでは周囲が納得してくれないってんで「黄泉の帝王トート」という存在を生み出しエリザベートの『愛』を得る、エリザベートもまたトート=『死』を望んだという話を作って、何度も何度も尋問・審問されてるうちにどんどんとそれが肉付けされていき、やがてルキーニの中でそれこそが「真実」になっていったってなふうにわたしには思えるのです(そう考えるとルキーニに対して「このロマンチストさんめっ★」みたいな気持ちにもなっちゃうんですけどねw)。

で、それはおそらく成河ルキーニ自身の違いというよりは二人のトートのキャラクター性の違いを理由にしているように思うのですが、どこからどう見ても「黄泉の帝王」そのもので、シシィとルドルフ以外には見えていないもののそこに“存在している感”がある井上芳雄のトートに対しては『崇拝』という言葉が、舞台上に存在してはいるものの肉体を感じさせず(けどビジュアルは壮絶美)「死の概念」そのもの、死が具現化した存在のように感じる古川雄大のトートに対しては『投影』という言葉が浮かぶ。井上トートは成河ルキーニにとって「こうなりたい」という存在で、古川トートは「こうしたい」という存在というか。

古川くんのトートは見た目こそ死を具現化したらこんな感じになるだろうと言うしかない美しさと妖しさと冷たさの塊ですがところどころで感情が出ちゃうんですよね。フランツに最後通告突き付けたシシイの背後からぬっと現れそろそろ俺のモノになる気になったかと押し倒すも拒絶されて「ガビーン!」って顔するのとw、少年ルドルフが「昨日は猫を殺した~」って歌った瞬間「ほーう」ってニタァと笑うところが特に好きなんですけど、その美しい顔が一瞬歪む瞬間に、成河ルキーニエキスを感じてゾクっとしちゃうんだよな。
一方三度目となると芳雄さんのトートはマントプレイとか立膝とか“カッコつけ”がキマりにキマってて、シシィを「死」の世界へ是が非でも連れていきたい、何が何でも俺の世界へ連れていってやるとメラメラしてる雄々しさがあって、その「愛という名で縛りたい、屈服させたい」感、そこに成河ルキーニの願望が見て取れて、これまたゾクゾクしちゃうし。

これはあくまでもわたしがそう思った(そのつもりで楽しんだ)ということなので読み流していただけると嬉しいのですが、芳雄さんトートの場合は『「愛(死)」をかけたシシィとの戦い』として楽しめて、古川トートの場合は『トート閣下の初恋物語』って感じなんだよねw。花總シシィでも愛希シシィでも芳雄トートと比べて古川トートは優しくて、そしてあらゆる意味で弱いのでシシィに振り回されてるように見えてしまうところがあって、それはたぶんトートとしてはダメなのでしょうがわたしは嫌いじゃなかった。応援したくなっちゃうし、放っておけない!とすら思えてしまった。
わたしは年期だけは長い古川くんファンでして(最後のダンスの時に舞台後方の壇上でひらひら踊る古川トートを見て風魔の小次郎舞台の霧風様を思い出したぐらいw)所謂クールビューティ系の古川雄大は腐るほど見てきてるんですよね。で、古川トートはきっとその路線で作ってくると思ってて、M!のヴォルフと違ってそれならそこそこやれるだろうと余裕かましてたんだけど、いざ見たらなんか・・・見た目は予想と期待通りの麗しさなのに素直に「キャー!素敵―!」とはならなくて、なんだろうこの感じ、このもどかしさはなんなんだろう・・・とモヤモヤではなくジリジリしたんだけど、それは欲望を全開にしてシシィにぶつける芳雄トートに対し自分をさらけ出しきれないというか、そういう意味でカッコつけちゃってる恋愛初心者に対するジリジリじゃないか!と気づいたらもうダメ(笑)。このトートは予想外で、このビジュアルで中身コレってヤバくない!?モードに(笑)。

はじめてエリザベートを観た時に芳雄さんトートが初演で、城田トートのナチュラル人外でまるで血の通ってなさそうな感じに対して芳雄さんのトートは人間味というか、生々しさを感じるトートだなと思った記憶がありますが、それから4年経った今、芳雄トートは城田トートとはまた違う「ザ・黄泉の帝王」をその歌唱力と立ち振る舞いと演技力でもって作り上げたなと、まさしく「閣下」と呼ばれるにふさわしい『迫力・圧力』のトートになっていて(黄泉の帝王というより闇の大魔王様みたいな瞬間とかあったぐらいよw)、井上芳雄ほどの実力の持ち主でさえこれほどまでに変化し進化するのであれば古川くんはこれからどんなトートになっていくのだろうかと思わずにはいられません。そういう意味で、スタートラインとしての「初恋トート」はありだなとわたしは思う。古川雄大のトートがここからどういう方向に成熟してどんな「黄泉の帝王トート閣下」になるのか楽しみでならない。

成熟と言えば平方くんのフランツと木村くんのルドルフが3か月間で見違えるような成長を遂げてて素晴らしかったです。
当初はやはり万里生さんの重厚さと比べると平方くんの頼りなさが気になったし、京本くん三浦くんに比べると木村くんはコレといった特徴がないように感じたもんですが、平方フランツの頼りなさは優しさと誠実さに、木村ルドルフの特徴のなさは芯のブレなさになり、特に木村ルドルフはそのブレなさゆえに僕はママの鏡だからでそれがボッキリと折れるのが痛いほどわかったし、そこからのマイヤーリンクの悲劇性が三人のなかでは最も心に刺さりました。
フランツとルドルフはそれぞれ全くタイプの違うダブルとトリプルで見ごたえがあったけど、父と息子の関係性としては平方フランツと木村ルドルフが一番好き(プラス花總シシィだと歩み寄れた可能性を感じずにはいられず、なんとか話し合うことができていたならばこの悲劇を回避することができたのではないか?と思えてしまってより哀しい)。



今回の公演でようやっとエリザベートを多角的に楽しめるようになってきたので大千穐楽で発表された来年の全国ツアー公演もぜひとも観劇したいところですが、帝劇1か月じゃチケット取れる気まったくしません。
ていうか、公演が終わったと同時に次の公演のチケットについて考えなければならないとか、ミュージカルの世界(オタクの精神にも財布にも)厳しすぎるぜ・・・。