ミュージカル『VIOLET』@東京芸術劇場 プレイハウス

当初の上演スケジュールでは藤田俊太郎さんの演出には興味があるものの他作品との兼ね合いで(エリザベート桜の園チェーザレと公演期間どん被り)諦め、事情が重なり成河さんが代役として出演することとなったもんで慌てて四方それぞれの席の確保に走り、でも中止が発表され、そしたらたった3日間5公演だけの上演が決まったってなわけでなんとか1公演だけ観ることができました。観たのはバイオレット役が優河さんの回。

繰り返しになりますが、藤田さんの演出と成河さんの出演。わたしの興味はこの2点で、あらすじと、あらすじから予想する作品のテーマには正直言ってあまり惹かれるところはありませんでした。
それに、これがとても大きいのだけれどわたしの愛する役者さんがいなくなってしまった現実のなかで、
差別とか、人を見た目で判断すること、しないこと、生きていくために、生きるために誰かの癒しを求めること、与えること
そういったことを、このとてつもなく上手い人たちが演じるそんな物語を、今のわたしが理解することはできないのではないか、という気持ちではありました。

結論から言うと、やっぱり理解はできなかった。受けとめきれなかったってこともあるけど、そもそもこれ1回で理解というか、納得のいく答えが出せる作品じゃなかった。自分なりに消化できるまでにはせめてあと1回は観なきゃわたしには無理だった。

でも観終わった瞬間、観客数は半分だけど洪水のような拍手となったカーテンコールを見ながら、全身が細胞まで満たされた気持ちになりました。
劇場という空間のなかで、目の前で語られ、歌われ、紡がれていく物語の欠片をひとつひとつ受け取り、考えて、嵌めて、繋いで、そうやって終わりの瞬間を迎えることの愉しさを思い出すことができました。

舞台の機構(盆)を効果的なんて言葉じゃ到底足りないぐらいに使ってバスの車内だったりバーだったりモーテルだったり礼拝堂だったりと暗転することなく流れるように場所(場面)を切り替え、時には映像でインパクトを与える見事な演出による優しいけれど優しいだけじゃない、ハッピーエンドのようでたぶんそうじゃない物語を脳みそフル回転で考えて考えて考えて久々の疲労感を覚えながら、やっぱりわたしは舞台を観ることが好きだし、やっぱりわたしには劇場で過ごす時間が必要なんだと改めて実感しました。


初舞台の優河さんは素晴らしかった。優河さんをバイオレット役にキャスティングした人がマジもう天才。この声をよくぞ見つけてくれたな!!と両手サムズアップで称えたい。そう、とにかく声、声がすんばらしい!。顔にひどい傷を負ったことで揶揄われ中傷を受け続け、世界から隠れ縮こまって生きてきたであろう少女の頑なさと、そんな自分を伝道師様が癒し救ってくれるという狂信的なまでの強さが同居する歌声はなんともいえない引力があって、この強力すぎる、なんなら最強と言っていい歌ウマ布陣のなかで、最も強い力でもって舞台のど真ん中で生きていた。

そしてそんな優河さんを「取り合う」形になるのが吉原光夫さんと成河さんですよ!。
この2人がこういう関係性になることってたぶんもう(この作品の再演を除き)二度とないんじゃないかと思うのですが、控えめに言って特濃すぎた。
わたしが1度じゃ消化できないと思った理由の最たるものが成河さん演じるモンティという役そのものについてなのですが、台詞として語られない情報量が多すぎて途中でわたしの頭はパカンと開いてハトが飛び出してしまったので(それぐらいなんかもうフェスティバル&カーニバル状態)、藤田さんと成河さんにはなるべく早く責任を取ってもらいたい。なにが言いたいかわかるな?。