『スリル・ミー』@東京芸術劇場 シアターウエスト

注:前もってお断りしておきますが、超長いです。



松下私×柿澤彼、成河私×福士彼というキャストでスリル・ミーが上演されると発表されたあの日から、マイ初日を死ぬほど心待ちにしてました。長かった。その間いろんな舞台を観たけれど、わたしの頭の四分の一ぐらいは常に「早くスリル・ミーが観たい」という想いが占めてました。「早く今年終われ」って毎日思ってました(12月から上演されていたものの、一度見てしまったらスリル・ミーのことしか考えられなくなるのはわかり切っているので年内の予定をすべて終えてからまっさらな心で挑もうと年明けまで我慢の子でした)(なんでわたしはオタクごとにかけてはこんなにクソ真面目なのだろうか。12月から観ようとしていたならばもう何回か観られたかもしれないし、開幕当初と回数をこなした最後のほうでの比較だってできただろうに)。

で、ようやっと迎えたマイ初日。1月4日の成河私×福士彼で始まったわたしのスリル・ミーはあっっっっっっっっという間に終わってしまいました。14日の松下私×柿澤彼の千秋楽まで10日の間に両ペア合わせて9回も観たのにまだ観たりない・・・満足してないわけじゃないけどもうそれぞれのペアを観られない(かもしれない)と思うと気が狂いそうになる・・・。
わかってる。これがスリル・ミーだってことは。わかってたけど今ものすごく苦しい。スリル・ミーが終わってしまった(次いつ観られるかわからない)世界に生きる意味なんてあるのだろうか。


わたしがスリル・ミーを初めてみたのは前回公演で、それも尾上私×柿澤彼回のみでした(そもそも松也さん目当てだったので)。そしたらドスンと柿澤彼の落とし穴に落ち、松也ではない他の「私」に対するカッキーの「彼」が観たい観たい観た過ぎる!けど過去にはどうしたって戻れない・・・!というオタクあるある地獄を見たわけですが、なんとなんと!今回再び松下私とのペアが復活するとのことで地獄から天国!!!こんなことってあるんだね!!!。
とわたしは狂喜乱舞したわけなんですが、いざ松下私と柿澤彼のスリル・ミーを観たら殺したいほど好き・・・!!と思った柿澤彼ではなかったのです。
そんなにイライラしてないし、「私」を汚いものを見るような目で見ないし、なんなら優しくない??とすら思ったほどで、それはわたしが求める「彼」ではなかった。なぜか。
答えは明白。「私」が違うから。
これがスリル・ミーという作品の最大にして最高の魅力なんだよね。
同じ物語で同じ台詞を語り同じ歌を歌っても「私」と「彼」が違えば見え方が違う感じ方が違う。ぜんぜん違う。
そのことを、わたしは今回の上演で知りました。


今回の柿澤彼はわたしが求める「彼」ではなかったと書きましたが、駄目だった、というわけではないのです。スリル・ミーという作品は子供の殺害という凶悪犯罪を犯した二人の未成年のうちの一人(「私」)が34年の後に仮釈放の審議の場でその話をするという構成で、つまり「私」が語る物語になるわけです。「彼」という人物(像)は「私」にとっての彼、「私のなかの彼」なんです。だから「私」が違えば「彼」は変わる。わたしが好きで好きでたまらなかったカッキーが演じる「彼」は松也が語る「彼」であって、松下洸平くんの「私」が語るカッキーの「彼」ではないと、嫌悪感を隠すことなく「私」をとことん冷たく見下す柿澤彼のあの視線は松也私に対して(だけ)のものだったと、ただそれだけのこと。
・・・うん、ものすごく納得。そしてなんだかとてもうれしい(←察してw)。


洸平くんの「私」は見るからに育ちの良さと頭の良さを感じさせる「私」で、自分のしてることや状況をちゃんと理解してるように見える。理知的で思慮深いと言っていいほどなのになぜ「彼」に言われるがまま殺人という越えてはならない一線を越えてしまったのか。
それは弟を殺すという彼に「弟じゃない別の誰か」という選択肢を与える“しかなかった”ことにある。放火や盗みを繰り返す「彼」はいずれそのスリルに慣れてしまい飽きるだろうことが「私」にはわかる。そしてさらなるスリルを求めることも。だからいつか「人を殺す」と言い出すかもしれないと予想してて、その時が来ることを恐れていたんじゃないだろうか。
そしてついに「彼」がそれを言った。
「俺が一番ムカつくやつ(を殺そう)」
「・・・僕?」
「お前・・・・・・・・・以外で」
ってんで『弟』を殺すという「彼」を「私」は必死で説得する。
弟がレイプ殺人(に見せかけて)で殺されれば親父は気が狂うだろうと言う「彼」だけど「私」はこう言うのです。『彼(弟)も家族だ!』と。
すると「彼」はこう答える。『じゃあ変わりの誰かを殺そう』と。
きっと「私」は「彼」がそう言うだろうとわかってた。というか、そう答えるように誘導したのではないか。
「彼」に弟を殺させたくはない。それをやったら親父ではなく「彼」が本当に狂ってしまうだろうから。
でも「彼」のなかに殺人というスリルを求める気持ちが生まれてしまった以上それを止めることはできないこともわかってる。
だから「別の誰か」と言い出した「彼」に間髪入れずに「それはいい」と賛同した。そうするしかなかった。
洸平くんの「私」はカッキーの「彼」が「じゃあ別の誰かにしよう」と言った瞬間目を閉じるんだよね。わたしにはその瞬間「レイ」を消し「私」として「彼」と共に堕ちる決意をしたように見えた。『しちゃいけないこと』だとわかっていても、「彼」がそれを行うと言うならばそれを一緒にやるのは自分ではなければならないのだと。


スリル・ミーを考察する際における最大のポイントは『いつから「私」の計画だった?』問題だと思うのですが、洸平くん「私」は確実にココだと言える。
「彼」と共に殺人計画を立て、そのための準備をし、実行し、遺体が発見され捜査の手がじわじわと伸びてくることに怯えながら(自分の仕込みであってもやっぱり怖かっただろう)「彼」の言葉に傷つけられ、それでも「彼」と特別な契約を交わした『共犯者』であることをよすがに「彼」のことを信じ続けるも『お前は最低だ』と言われポイ捨てされる。まるでマッチ箱のように。

(マッチ箱で思い出したけど、再会した「彼」に火を持ってないか?と聞かれるシーンで「私」は「彼」がタバコを咥えてポケットを探ってるときにもうマッチの用意をしてるんだよね。君のことを解っているのは僕だけだと、同じ立場でものを見て考えて語り合える相手は僕しかいないだろうと、ニーチェがなんだ!(意訳)と激しく「彼」に訴えながらも右手は「彼」の求めているものを察知して与えようとしてるのよ。これ二人の関係性を如実に現してると思うのだけど、洸平くんの「私」はマッチを用意するのみならず抜き易いように箱から1本だけ頭をちょこっと出した状態で手渡すの。しかも1本出してから渡すのではなくポケットから出した時点でもう1本出てんだよね。成河「私」は角度的に確認することが叶わなかったんで演出として両者ともそうしてる可能性はあるけど、タバコを吸おうとする「彼」が火をもってなかったときのために、いつもそうしてるんじゃないかなと、洸平くんの「私」はそんなことを思わせるのです)

護送車で運ばれながら死刑ではなく懲役刑を勝ち取ってくれた弁護士の最終弁論のすばらしさについて語る中で『俺の夢はあんな弁護士になることだ』と言う「彼」に、『そうだったんだ。知らなかった』と返す「私」の切なさよ。
そんな話を「彼」は「私」に一度もしてくれなかった・・・んだよね。「彼」のことをずっと見てきてすべて知ってるつもりでいたのに、そんなことすら知らなかった「私」がこの時どんな気持ちだったのかと思うと底なしに哀しい。
そして「私」の企みにようやっと、よーーーーーーーーーーーやっと気づいた「彼」からの『君を認める』『だがこれから君は孤独だ』という別離の言葉に対しそれでも『永遠に(離れない)』と言う「私」はこの瞬間をもって完全にすれ違ってしまったのだろう。

松下洸平の「私」は共感ではなく理解ができる。哀しいまでにちゃんと血の通った人間で、何を想い何を求め、何をしたいか何をしたかったのか、わたしなりの理解ができるんです。だから洸平くんの「私」が語る柿澤隼人の「彼」もまた、ただの人間になる。どれほど非道で残酷なことが行われていても、そこにあるのは二人の青年の「感情」の物語“でしかない”。


『永遠とは言わない、死ぬまでは(一緒だ)』と「彼」に勝ち「彼」を自分だけのものにしたものの、その後「彼」は刑務所の中で他の受刑者に襲われ命を落とし、34年経ったところで「私」は仮釈放により『自由』を得る。そこで所持品として返された高校生の時に思い出の公園で撮った「彼」の写真を見るのです。
このラストシーンを松也「私」で見たとき、仮釈放を求めた理由は「彼」の写真でありわたしは「私」はこれからもずっと「彼」と共に生き続けるのだろうと、「これで君は自由だ」と裁判官?審問官?に言われ『・・・自由?』とつぶやく松也「私」はいままでもこれからも「彼」のことしかない「私」なので「自由?何の話?」という意味での『・・・自由?』と解釈したのですが、洸平くんの「私」は『・・・自由・・・・・・自由?』とその言葉を飲み込むようなニュアンスで、高校生の「彼」の写真として階段上に立つ「彼」の姿が見えなくなることはつまり「私」のなかから「彼」は消えた、「彼」への想い、「彼」という存在を「私」自身が消し去ったのだということなんだと思えたんですよね。
史実では「私」にあたる人はこのあと結婚し穏やかに生きたそうで、それはあくまで史実でありスリル・ミーという作品(戯曲)のなかにその要素があるわけではないでしょうが、これまでに見た松也「私」も成河「私」もその未来は到底想像できないものの、洸平くんの「私」ならば納得できる。そうあってほしいとすら思う。


カッキー「彼」はちゃんと洸平くん「私」のこと見てるしわかってるし好きだよね。伝え方が俺流で強引なだけで(さすがにこれをツンデレとは言いたくはないけど)「私」のこと思いっきり気にしてるよね。ていうかはっきりいって構ってちゃんだよね?。松也「私」のときは「私」がなにを言ってもあーもうおまえウザいていうかキモイ!って感じで全てシャットアウトで会話になってなかったのに『お前がいなきゃだめなんだ』に心こもってんじゃん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!?????????????????????ってなったもん。本気で言ってるという意味での心こもってるではなく、「私」を説得したいという気持ちの入った『お前がいなきゃだめなんだ』だったよ・・・・・・・・・?。松也「私」んときはとりあえず言っとこってな感じで超絶棒読みだったのにー!(そこが好きだった・・・)。


ってところで福士「彼」ですよ。なにからなにまでなにもかも好みすぎて言葉にならない。


言葉にならないと言いつつ書くけど、登場した瞬間から「!!!!!!!!!」ですわ。薄いベージュのスリーピースをスッと着こなした福士「彼」のカッコよさに早くもどうしていいかわからない。複数のお嬢様と遊んでるのも『みんな「彼」に夢中』なのも一目見た瞬間ド納得できちゃう。
と思ったらバードウォッチングに夢中な成河「私」のところへ抜き足差し足で近づくわけですよ。だるまさんがころんだ状態なわけですよ。こんなスタイリッシュなルックスしてるくせにお茶目かよおおおおおおおお!でノックアウト。登場5秒で「好き!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」ってなるからね。

ていうかその前に成河さんの「私」がすごくてさー、今回「私」は客席を通って登場するんですが、暗闇からわき出るようにして舞台(証言台)に立つ「私」は34年後(53歳)の「私」なのでそれ相応の声音で喋るし両手を手錠で繋がれ(指を組み)背中は丸まり見た目も老いた感じなのに、過去について語り始めると(暗転ののち過去回想に入ると)一瞬で19歳の「私」になるのよ!。
あまりにも鮮やかすぎる成河「私」の時をかける成河っぷりに、眼鏡をかけ鳥を観察しながらなにかをメモるその姿と動きだけで「この人粘着(オタク)気質だな」と解らせるその説得力に度肝を抜かれ、ああこれは成河「私」の圧勝だろうと思ったところが福士「彼」がルックスだけで押し返すわけですよ。なんだこのペア!?となるじゃないですか。
で、福士「彼」が第一声を発するじゃないですか。

低音イケボオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!(バタリ)。

と思ったら「待ってたよっ・・・!!(パアアアアアアッ!)」って成河ちゃん「私」キャンワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!きもキャンワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!。

なんやこれ。まじでなんやこれ。
で、半年ぶりの待ち合わせに大幅遅刻で現れた「彼」はやってきたと思ったら「これからデートだから」と言って帰ろうとするんだけど(だったら待ち合わせをすっぽかせばいいのにそれはしないのは「私」がちゃんと待ってるかを確認したいからじゃないかなーってカッキー「彼」はそう思えるんだけど福士「彼」はなんでかわからん)、そんな奴らと時間を過ごすことに意味はない(意味があるのは僕といる時だけだ)と言いつつ「彼」の進路の前に「私」がずずいっと立ちはだかるのね。通せんぼするのね(「私」ってマジめんどくせえw)。

成河「私」と福士「彼」の身長差かんっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっぺき!!!!!。

立場的に優位なのは「彼」なんだけど、それを頭半分ぶんぐらい小さい「私」が下からキッと睨むように見上げる図が完璧なるソレで悲鳴堪えるのに必死でしたわ。
カッキー「彼」より縦横がデカい重量級の松也「私」が止めるのも本能的な恐怖心でゾクゾクしたし、ほぼ同じくらいの身長で目線をしっかり合わせる松下「私」とカッキー「彼」も本質のところでは対等なのだろうと思えてそれぞれの良さがありますが、成河「私」と福士「彼」は見た目の王道感が凄まじく、最高としか言いようがない。

最高と言えばさあ!優しい炎なんだけどさあ!(←食い気味の前のめりで)、燃える倉庫を眺めながら逃げようという「私」を『階段に座りながら』(こことても重要)バックハグするんだけどさあ!福士「彼」は右手で「私」を押さえつけるようにでも(「彼」比で)優しく抱きしめながら左手は階段の手すりにかけるのよ!これが!もう!ほんとに!もう!ドエロい!!!!!!!!!!!!!!!わたしは未だかつてこんなにもイイ仕事をする手すりを見たことがない!!!!!。


言葉にならないと言いつつこんなにも書いてしまいましたが、とにかくもう福士「彼」は全女子が想像する『ドS男(サイコパス気味)』そのもので、そりゃあわたしは好きだよね。好きになっちゃうよね。


そんでさあ(まだ書く)、「彼」の言う通り放火を手伝ったというのに翌日になってもなんにも言ってくれないからって「私」は弟に頼むという「彼」の最も嫌がる手段で「彼」の部屋に入り込みニーチェを読んでる「彼」が自分に気づくまでジトーーーーっと視線を送り、気づかれると「来ちゃった///」と言うんですが(いや来ちゃったとは言わないけどニュアンス的にはマジでこれ)、洸平くん「私」は健気可愛かったというのに成河「私」はマジヤバだった。松也「私」のじっとり感とはまた違う、ホラー系のヤバさ。
そんな成河「私」を追い出すことができず(ここで伝家の宝刀「じゃあ弟に頼む」を持ち出すところに「私」の性悪感がチラ見える)、『じゃあそこに座って俺が寝てるところを見てろ』というだなんて、福士「彼」はほんとうに罪作りな男だよ・・・。カッキー「彼」の場合“そこに居ることを許してやる”というニュアンスだけど福士「彼」の場合“見てるだけで我慢しろ”というニュアンスなんだもん。
からの『血の契約』な。

とその前に『お前じゃなきゃダメなんだ』。福士「彼」の『お前じゃなきゃダメなんだ』のすごいところはですね、このセリフを言ったあと身を乗り出して「さあ俺にこんなこと言われてお前はどう答える?わかってるけど!」ってな顔をするんですよ。このあとに「私」は『・・・初めてだね、そんなこと言うの』とクッソ可愛い答えを返すんだけど、成河「私」はそのあまりの破壊力にまず絶句するんだよね。言葉が出てこないのよ。これマジ最高。
それから書くタイミングが見つからないのでここで書いちゃうけど、「彼」のやりたいこと(人のいる家からの盗み)をやったんだから次は僕の番だ『だきしめてほしい』のところでさ(「お願い、スリールミー!」のところを急に1オクターブ上げて歌う成河「私」の爆発寸前感がこれまたすごい。今コイツを抱いてやらなヤバイ感が凄まじい)、上着を脱ぎネクタイを外し、シャツのボタンをひとつふたつ外したところで(でもベストは脱がない)両手を広げて「ホラ、おまえが欲しいのはコレだろう?」と顔だけで挑発するのがほんとうにエロいのです。首筋を見せつつ首をちょっとだけ傾げながら「好きにしろよ」と言う(実際には言わないけどわたしの脳内では言ってる)福士「彼」はほんとうにほんとうに言葉にならないので(そんな福士「彼」にサスペンダーを外しながら向かっていく成河ちゃん「私」がこれまたものすごい粘度でたまらん)、それで「ん?」って聞くのやめてくださいエロ過ぎて死にます。いやうそやめないで死んでもいいから。
(って、あー!ここで思い出した!。部屋にやってきた洸平くん「私」がこんなこともうやめようよ親父に知られたらなんていえばいいんだよと訴えるところで「なんで?」って「彼」が返すんだけど、カッキー「彼」の「なんで?」が絶妙な優しさの混じり加減で最高すぎたんだけど、福士「彼」の「なんで?」は冷酷さしかなくってこれまた最高)

で『血の契約』に戻るけど、契約書を作って血でサインするだなんて厨二的なことを(劇中では『なにそれインディアンじゃあるまいし』と「私」がつっこむけど)いかにもやりそうなカッキー「彼」に対し福士「彼」はそうじゃないんだよなぁ。それなのに『前にもやったことがある』って、誰と!?ねえ誰と!???と聞きたいけど聞けないよね成河ちゃん!と思いながら成河「私」を見たら魂がすっぽり抜けてしまったかと思うほどのド真顔をしてました・・・。たぶん「深淵」を具現化するとこの瞬間の成河「私」になる・・・。
成河「私」にとって“誰”とそんな契約を結んだかということよりも、“自分よりも先に彼と血の契約を結んだ奴がいる”ことがショックだったんじゃないかな。いや、それは正しい言い方じゃないか。“彼が自分ではない誰かと血の契約を結ぶような関係性を築いていた”ことがショックであり許せなかったんじゃないかな。


ここで『いつから「私」の計画だった?』問題に戻りますが、成河「私」と福士「彼」ペアの場合、わたしは『最初から』だと思うのです。このペアは同性愛的な感じは(わたしがこれまでに見た2ペアと比べると)薄く、それよりも「彼」と「私」のゲーム、駆け引きの要素のほうが強いように感じて、それこそ高校時代に資料室を燃やした時から「私」は「彼」を少しずつ少しずつ捕えていたのではないか、と思うのです。無意識に、無自覚に。そんな「私」にとって「彼」が自分の知らない誰かと血の契約を結んだことがあることは、自分と彼との間に“誰か”が入り込むことであり、自分と彼の関係を汚されたようなものなのではないかと。それでも「私」は「彼」とゲームを続けるためにそれを堪えて“誰かの次に”「彼」と血の契約を結んだというのに、「彼」はそれを踏みにじった。『今後一切俺に近づくな』と本気で言われた瞬間、だから「私」は「彼」を警察に売ることを決めたのだと思う。


でさあ、成河「私」のすごいところってか恐ろしいところはさあ、洸平くん「私」ではあんなにも、あーーーーーーーーんなにも切なかった俺の夢はあんな弁護士になることだに対する『そうだったんだ、知らなかった』がぜんっぜん心こもってないところよ。心こもってないというか完全に聞き流してる。なぜか。すべて自分が仕組んだということを早く「彼」に言いたくてたまらないから。気づくかなぁ?早く気づいてほしいなぁ?でも気づかないでほしいかも・・・だって自分で言いたいから~~(べろべろばー)!ってのがもう顔からダダ漏れしてんのね。そんで『まだわからないの?』とついにネタ晴らしした瞬間の底なし沼のような魔王スマイルといったら・・・そら「彼」も本気で後退りするわ!。

そうそう、時系列は前後しますがこの日の前日の夜、隣り合った独房の中で「私」は寝たふりしながら「彼」の慟哭を聞くんだけど、成河「私」はそれをまさに“楽しんでる”んですよ。あの「彼」が、「私」を支配し続けた「彼」が『死にたくなああああああああい!』とみっともなく怯え泣きわめくのを“音だけで”楽しむとか・・・このペアはやっぱり「私」のほうが断然怖い。
「私」が語る話のなかで無様な「彼」の様子を見ている「私」は文字通り“何とも言えない表情”をするんだよね。こんな「彼」を見てみたくって、そのためにいろいろと仕込んだというのに「彼」の『本音』は普通の人間のソレでしかなかったことにショックを受けてるのかなぁ・・・と思う日もあれば「あれだけ超人超人言うてたのに凡人じゃねーか」と思ってるように見える日もあって、かと思えば「これでもう彼は僕だけのもの」だと確信してるようにも思えたりして、だから“何とも言えない表情”としか言いようがないんだけど、でもその時のことを語る53歳の「私」はうっすら笑みを浮かべてんだよね。これが怖いのなんのって。

成河「私」にとって「彼」との時間は正真正銘ゲームだったんだなぁ・・・・・・ってことがよーーーーーーっくわかる。
殺人を犯したあとの『どうしよう眼鏡を落としてたら』『落としてない』『見られていたのか、誰かに』『ありえない』『血が付いた何かがあったら』『あるわけない』のやりとりとかもうどんだけ楽しかったんだろうなぁ・・・・・・・・・ってな・・・・・・・・・。

仮釈放が認められ『自由』を手にする「私」だけど、手荷物にあった「彼」の写真を見て、それまで審議の場で延々「彼」との思い出を語っていたにも関わらず一瞬で“あの頃”に戻ってしまったのではないか。心ごとあの頃に。そこで『「彼」のいない世界(現実)』でこれから一人生きていかねばならないと気づいてしまったのではないか。「彼」が言った『だがこれから君は孤独だ』はこの瞬間のためのものだったのだと。勝ったのは自分ではなく「彼」のほうであったのだと悟る。だから「私」は探す。これからもゲームを続けるべく「彼」(の痕跡)を必死で探す。でもいない。「彼」はもういない。そして「私」は叫ぶ、『スリル・ミー!』と。


ねえ、洸平くん「私」と全然違うやん・・・。真逆やん・・・。同じ台詞を喋り同じ歌を歌っているのになんでこうまで違うのよ・・・・・・。
と、途中まではそう思ってたんだけど、終盤になって成河「私」は最後の最後に一筋の涙を流すようになったんですよ。その一滴はまるで血の涙のようで、それはやっぱり愛・・・・・・だったんだろうなぁって、松下私と柿澤彼は同じものを見ているのにそれに気づかなかった哀れな二人で、成河私と福士彼は同じ方向を見ているのに交わらなかった愚かな二人だったのかなーなんて思ったり。
どっちがいいではなくどっちもいい。両方を見比べられることで解釈の幅が倍、いや二乗される。すごいねえ。役者さんってほんとうにすごい。
そしてスリル・ミーという作品の奥深さと恐ろしさを感じずにはいられない。言葉にならないと言いつつこんだけ書いておいてなんですが、まだ書き足りないからね・・・。そしてもう飢餓感に襲われている。また松下私と柿澤彼が観たいし、成河私と福士彼が観たいし、違うペアでまた違うスリル・ミーを観たくてたまらない。