『それでも、生きてゆく』第10話

オムライスのことしか頭にない文哉さんがガチすぎて、これはもう狂ったもん勝ちですね・・・。別段錘的なものを身体に仕込んでたわけじゃないみたいだったのに、手足セルフ拘束しただけで溺死寸前までいくとかマジもんすぎる。つーか文哉の母ちゃんも天国のハワイてなぁ・・・・・・。
あと最終回を残すのみなので、共に殺すつもりでいた相手が死に掛けてると見るやいなや方や半狂乱で取り乱し方や必死で蘇生を試み、なんとか一命を取り留めたあと仲良くオムライスを食べ手を握り共に朝日を見よう!お前と朝日が見られればもうそれだけでいんだ→「俺は生きていてもいいのか?」「あたりまえじゃないか!」 ってなことになるのかと思いきや、まさかまさかの「オムライスマダァ-? (・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン」にはもう笑うしかねー。まぁそれ以前に洋貴の柄にもない熱弁に笑っちゃったんだけどさw。
そしてあの食堂のオヤジがどのタイミングでオムライス運んでくるのかが気になって気になって・・・w。結果的にここしかないってなタイミングかつこれしかないだろうってなノリで運んできたわけだけど、やっぱさりげなくタイミング見計らってたのかなぁ。ポテサラなんて作り置きだろうからオムライス×3と合わせてもあっという間に持ってくるだろうに(食堂だしね)やけに時間掛かってるもんだからほんと気になって仕方なかったんだけどw、もしかしてあれ見るからに真剣かつ深刻な話をしてるっぽかったからと気を使ってわざとポテサラとマカサラ間違えたのかなぁ?。話をする時間を与えるためと、あと気まずい雰囲気になったら空気を入れ替えるためにと。だとしたらあのオヤジ・・・・・・出来るなッ!。
ていうか全然どうでもいいことなんだけど、この食堂うどん系がやたら高かったのよね。生ビール450円に対し、かすうどん(ってたぬきのことだよね?)ときつねうどんが740円って相当強気な値段だと思うの。飲み屋的に使われてるから食事モノは結構高いのかなぁ?とも思ったんだけど、そのわりにはつまみの種類そんなにないし、もしかしてここのうどんすっごい拘って作られてるのか?でも祭りの夜だってのに客一人もいないってことは単に味と値段が見合ってないってことなのか?気になるなーw。
何気にちゃんと仕事をしつつ雇い主のオッサンを煩わせる三崎文哉の父親を「友達に頼んでシメてやりましょっか」な安藤サクラになぜだかホッとしてしまいましたが(笑)、でもサトエリに文哉の正体バラすという形でこの悲劇のスイッチ入れたのは紛れもなくこの人なんで、おまえちょっとは反省しろよとも思いました。
これ最終回どうすんだろうなぁ・・・。文哉には何を言っても伝わらないことが分かっちゃったし自首したわけだし、大竹しのぶ(被害者家族)と風吹ジュン(加害者家族)は共に行き先を見つけるべく一歩踏み出したわけだし時任(加害者家族)と小野武彦(被害者家族)も娘の命を親が諦める瞬間を共有することで何かが変わるんだろうし(延命治療を続けるためにどれほどの費用が掛かるのか知りもせず勢いで「なんとかします」とか言う時任はやっぱりダメ人間だな・・・)、あとはもう洋貴と双葉がなるようになるぐらいしかやることないよねぇ?。文哉というモンスターを抜きにすればそれは当初予想していた「それでも生きていくエンド」だし。それはそれでアリ、というか、加害者家族はともかく被害者家族は気持ちに折り合いつけてそれでも生きていかなくちゃならないのが現実だろうからいいのかなーとは思うものの、最大の当事者たる“犯人”はそのまんまで終わらせるってドラマとしてどうなんかなーとも思う。まぁ文哉はもう刑務所もしくは医療刑務所から出てくることはないんだろうし、もしかしたらその中で鉄格子の向こうにある朝日を見て涙零しちゃったりする日が来るのかもしれないけど、このまま最後まで文哉をモンスターとして描き通すのであれば、文哉の役割ってのは“忘れたくても忘れられない、捨てたくても捨てられない過去という現実の象徴”なのかなーと。文哉だけが当時のまま、『夜』=母親に捕らわれたまま食べて寝てだけを繰り返し生きていき、それ以外の人間は文哉の存在を“そういうもの”として生きていく・・・とか?。


なぜだか知らんが連続ドラマ界でネタ被りすることは多々ありますが、まさか若手イケメン俳優による人工呼吸などという超ピンポイントなネタが被るとかさすがイケメンクールと呼ばれる今クールですね!!。