新堂 冬樹『動物記』

動物記

動物記

母と妹を人間に殺され、アラスカの森でクマ王となったグリズリーの「アダム」。
人間の都合で捨てられ、やがて野犬グループのボスとなったジャーマン・シェパードの「シーザー」。
どちらも人間のせいで一人ぼっちになり、その世界の王となった動物の切なくも感動するお話です。
それから、お口直しとしてプレイリードッグの一家を支える強くて賢い父ちゃんプレイリードッグの心温まるお話。
さーてどうしますかね?これ。これを出版できるということは、私が思ってる以上に売れているんだな、新堂は・・・てのが第一印象。作戦かな?と思ったわけですよ、最初は。新堂と動物って一番遠いところに位置してそうじゃないですか。獣姦とか豚に食わせるぞ!とか拷問アイテムとして動物を利用するのが新堂冬樹であって、ストレートな動物モノ、しかも感動モノって結びつかないじゃないですか。そこをわざと狙って書いたのかなぁと思ったわけですよ。


・・・多分、これ本気。
暴力的なものや、恋愛ものだけでなく、動物ものも書けちゃうんですよー的な感じよりも、実はこういうものが書きたくて作家になったんですよ、本当は。とか言い出しそうなぐらいマジっぽい。
子供の頃に読んだり見たりした動物の物語って、今でも心のどっかに残ってたりしてるんだけど(かわいそうな象とか、白いオオカミとか)、特に「シーザー」の話なんて、自分が猛烈な犬好きだってこともあるけど、普通にそれらと一緒の位置にしまわれそうな勢いなんですけど。おばあちゃんになって、孫に(新堂作品だということを意識せず)この話とかしちゃったりして・・・。そんな自分に驚いちゃったもんで、すぐさま再読してみました。
さすがに2度目になると冷静です。よーく読んでみると、そこかしこに新堂エキスが漂ってました。要するに【不幸な星の元に生まれた冷酷な一匹狼タイプの主人公が歌舞伎町(ならず者が闊歩するコンクリートジャングル)で頭脳と腕力でのし上がり、やがて暗黒王となる。そこへ現れた幼い頃の思い出の君。主人公は思い出の君をかばい凶弾に倒れる。その顔はなぜか穏やかだった。冷血と恐れられた主人公だが、やっと安住の地を見つけたのだ・・・。】ってな話なんですよ。このまんま野生の王国に当てはめてもらえればどんなもんだか分かるでしょう。あぶねー、動物に釣られて感動するとこだった。このわかりやすーい展開も新堂作品の魅力だと思うのですが、さらに素敵だったのが、グリズリー同士が闘うシーンで内臓ダラダラはみ出ちゃったり、野犬グループを“プロの殺戮集団”って表現したりするところ。つい内臓こぼしちゃうのね。ついプロの殺人者(アサシン)とか書いちゃうのね。いくら売れっ子になろうとも、どんな感動物語を書こうとも、身体に流れる暗黒の血は消すことができない、みたいなー。
まとめとしては、大人の読むもんじゃありません、ってとこですかね。


オマケ:犬には適正ってもんがあって、自分が欲しいと思った犬種が自分のライフスタイルと合わないならば飼うべきではないっていうの、ほんとその通りですよ。毎日満足な運動をさせてあげられないなら、大型犬を飼うんじゃねー!と強く主張。