『僕らは奇跡でできている』第8話

山田さんが一輝のお母さん!?と思わせて、素っ頓狂な発想が元での「山田さんからうまれたんですよね?」であってお母さんとかそんな話じゃぜんぜんなくってズコーってな展開になるんだとばかり思っていたので、そのまんま、ストレートに『山田さんが一輝の母親でした』という事実に驚いた。山田さんが母親なんじゃね?と推測したこともあったんで、それ自体は驚きというわけでもないのだけれど、その“明かし方”がなんの捻りもないことに驚いた。
その理由、事情ももっとこう・・・よんどころない理由というかドラマチックな物語というか、そういうものがあるのではないか、それを期待しているところがあったんで、これまたなんの捻りもない言ってしまえば『育児に疲れて逃げました』というよくある理由であったこと、(あえてこの言い方をします)そんなことでしかなかったことにも驚いたし。

でもそんなことでしかないのに母親は家政婦として息子の世話をしている。それはどう考えても普通じゃないわけで、しかもそのことを息子は15年前に知ってしまっていて、そのことを言わずに15年間母親を家政婦としてともに暮らしていたわけで・・・という、どう転んでも無傷じゃ済まないであろう話がこうまで軽やかに着地するとは。

犬も猫もネコ目の話が家政婦とか母親といった分類に意味がないと展開すること。意味も解らず嫌いでたまらなかったタコが実は好きの象徴であったと展開すること。
そして「僕が生まれた奇跡」。
そしてそして山田さんが言う「一輝さんの先送り」は実は「山田さんの先送り」に「似てる」のだということ。

なんて素敵な話し合い。いや一方的に一輝が捲し立ててたから話し「合い」ではなかったけどw。
こんなふうに「自分を捨てた母親」をずっと前から受け入れていたことを、いや生まれたときからずっとずっと好きであることを伝えられる一輝は人間としてとても魅力的だけど、山田さんが戻ってくるのに11年が必要だったように、「山田さん」と暮らす15年の時間によって一輝は「話そうとしたけどいつの間にか忘れてた」というその境地にたどり着くことができたのだろう。
クーラーボックスからタコを取り出す一輝の崩れまくった笑顔の可愛さったらなかったわ。タコが嫌いなのではなく大好きだったと判明したことがそんなにうれしいかとw。

山田さんも一輝もその間いっぱい葛藤しただろうけど、今こんな顔で笑えることがすべてだよね。

笑顔と言えば、眼鏡を作ってもらった虹一が話す「お母さんの透明な眼鏡」の話も虹一にとっても虹一母にとってもほんとうによかったなと思うし(一輝と山田さんとの関係がわかってみると、一輝と虹一が出会い即仲良くなったことは、奇跡であり必然だったんだろうなと思う)(と同時に、かつての自分と同じような状態の虹一母に「お子さんはいますか?」と聞かれたときの山田さんはどんな気持ちだったのだろうかと思っちゃうよねぇ。「一度離れてみるのもいいかもしれませんね」にどれほどの思いが詰まっていたのかと)、彼氏とちゃんと話せて笑って終わらせることができた育美がクリニックのスタッフを飲みに誘ってる(それを二人とも受けてくれる)のもよかったよー!。

あとは樫野木先生のプライベートだけかな。今のところ樫野木先生は気の毒な感じでしかないので、できれば奇跡が、それでなくとも前向きになれる何かが樫野木先生にも訪れてほしい。訪れろー!(念)。

ユーチューバー沼袋先生はべつにどうでも(笑)。沼袋先生だけでなく新庄くんも絡みそうなんでまぁなにがしかの展開はあるだろうけど。



と温かい気持ちで満たされていたら突然一輝が水着になって泳ぎだしたもんで冷水ぶっかけられたんだけどなにあれ(笑)。飛び込みフォームはドンくさそうだったからまさか泳げないのかと期待したのにすいすいクロールしちゃってるし(笑)。
予告にこのラストシーンが繋がりそうな要素皆無だったんだけど、ちゃんとこのシーンに意味あるんでしょうね?(単なるサービスだったら思いっきり方向性間違ってると言っておくw)。