『獣になれない私たち』最終話

終わってみれば、働くうえで生きていくうえで直面する圧力とか(広義の)暴力とか、そういうものに耐え忍びながら、真面目にまっとうに毎日を生きている、生きようとしている人たちが最終的にそれぞれの立場、やり方でもって「それっておかしくないですか?」と『吠える』ドラマであり、吠えたのは、吠えることができたのはドラマの中での様々な関わりがあったことにより「変わった」からだけど、でもそれは「変われない」から吠えるという手段をとったわけで、つまりそう簡単に人というものは変われないのだ、よくもわるくも。というドラマであったことが解った・・・・・・気がするけど、物語それ自体が面白くなかった。ついに退職届を出した晶に対し上野が「深海さんからの卒業」を宣言し、社員みんながおめでとう!と拍手しだしたのには真顔通り越して石像になった気分だったわ。そのあと佐久間さんが九十九の顔を両手で挟んだのにはビクンとなったけど。あと上野の待ち受けが佐久間さんになってんのも!。
スーパーマンやスーパーウーマンが理不尽な世の中をぶん殴るドラマがいい(見たい)というわけではないけれど、やっぱり真面目に生きる「大多数の人」をこういうタッチで描くのは難しいんだな・・・とわかったことがこのドラマを見続けた最大の収穫でした。

ていうかですね、わたしはそんな話を新垣結衣松田龍平で見たかったわけじゃないのだ。「不条理な毎日をそれでもなんとか生きている人の物語」と「新垣結衣松田龍平」この間にある溝をわたしは最後まで越えることができなかったのだ。

なんてことを、晶と恒星のいない5tapの周年パーティ(って、え?5tapってまだ2周年なの!?前回のパーティは5周年ぐらいなんだと思ってたんで店の常連っつってもたかだか2年弱のことだったのかと最後にして結構な驚き)になんでか九十九クリエイトの人たちが来て、朱里も交えて和気あいあいしてんのをぼんやり眺めながらおもいました。
呉羽と京谷もいなかったし、(タクラマカン)砂漠にある(5Tapという)オアシスを離れ、それぞれどこかを目指してまた砂漠を歩き始めました、晶は恒星と、恒星は晶とともに・・・ってなことかな。朱里は岡持と5tapというオアシスを見つけましたってことで(周年パーティの時の朱里はとても可愛くて、これが本来の朱里の姿なんだろうね)。