『ペンディングトレイン-8時23分、明日 君と』第2話

初回の感想でこの状況下で足手まといにしかならないであろう乳幼児や高齢者がいないのは不幸中の幸いかと書いたけど、高齢者いるんじゃねーか。
そんで確かこの場に電車が不時着した直後に手動でドアを開くと我先に飛び出してった人たちが結構いた気がするんだけど(ちゃんと見てたつもりだけど記憶がぼんやりなのはなんでだろ?)、たぶんそのひとたちの荷物から取り出した靴を畑野が萱島に渡してて、盗った盗られたって何度か騒ぎになってるってのに靴ならいいのか?ってこともだけど、現在電車内で生存してる人たちの間ではその人たちは「もう戻ってこない」と判断してる・されてるってことなのか?。

まあこの状態になって3日が経ってるわけで、3日間戻ってこないなら戻ってこない、もしくは戻ってこれないのだろうと考えてもおかしくはないのかもしれないけど、残ってる人たちの間で一度も「出て行った人たちはどうなったのか」について語られることがなくて、でも自由だ~!って叫んでどっか行ったと思った哲太の田中は戻って来てるし荷物持って出てった松雪さんの寺嶋も戻って来てるし、そこいらへんの曖昧さが気になる。

今回元の世界で「消えた車両は2両で行方不明の乗客は130人あまり」ということが言明されたし、客観的な情報・説明については今後段階を踏んで明かされていくのでしょうが、消えた電車側でも状況についてそろそろ整理してほしいかな。

ていうかさ、水がないと死を待つしかないのに水を探しに行くのが“いつもの三人”に加えて大西礼芳さんの立花って、崖を登る必要があるってわかってるのに非力な女性に行かせてどうすんのさ?と思うんだよな。動画撮ってる米澤とか若い男も行けよと。
この状況下で「動いてる人」と「何もしない人(誰かがなんとかしてくれるのを待つだけの人)」がいて、後者のほうがはるかに多いことが違和感なんだよな。
水にしたって植物など全く生えていない「砂漠」ならわかるけど緑豊かで苔が生えてる状態なんだから「水」は絶対にあるはずで、なんとかしてそれを探そうと思わないか?と。

まあ今回の途中までは『助けが来る』と思ってた・信じてたわけで(それがよくわかるのが井之脇くんの加藤がノーパソの光源を明かりにして書き物してたことね。いつまでバッテリーがもつかわからないのに電気替わりにするなよと、それは「今」書かなきゃならないことなのか?朝になって明るくなってから書くんじゃダメなのか?と聞きたかったもん)、助けが来ることはないと受け入れることはまだできずとも理解はしたであろうことで人々の意識が変わるとしたらこれからってことなんだろうけど。