まずは池田屋。尺の使い方、描写の濃度については何もいいませんが、初登場回でも思ったんだけどやっぱり町田啓太は土方歳三にしちゃ線が細すぎる。
凛々しさや麗しさは文句なしだけど厳しさや激しさは感じられず、この作品の「土方歳三像」がまだわからないとはいえ“わたしの求める土方歳三”ではないな、という結論です。まだわからないのに結論って言っちゃったけど。
とはいえ美しい。人が人を斬っているというのにそこにあるのは「美しさ」。流麗でありながらもメリハリの効いてる殺陣を表現するならばやはり「美しさ」しかないのです。横顔が美!!!!!!!優勝!!!!!!!!!!!。
それに比べてラスト10分。平岡暗殺の生々しさよ。
どちらが良くてどちらが悪いと言いたいのではなく、池田屋があっての平岡暗殺、この平岡暗殺の引き金としての池田屋(というか土方)の描き方であるという意図がしっかりと伝わってきたということです。
だがしかしこれだけは言いたい。
町田啓太の土方歳三による「待たせたな」をわたしずっと待ってたの・・・・・・・・・。
平岡円四郎の死についてはとにかく「無念」の一言ですが、傘取りに行って戻ってきたら(わずかの隙に)平岡様が斬られているという衝撃すぎる状況のなかで確実に賊を斬り殺していく川村様の強さが際立っていただけに、平岡様の側を離れなければ・・・と後悔してもしても、いくらしてもし足りないであろう川村様の胸中を思うと心が痛い。
(とか言いつつ、円四郎を斬って川村様に斬り殺されるのが紫炎さんことうっちーこと丸山敦史くんだとか、なにこのわたしの好きな男たちによる血みどろ祭り!とか思って申し訳ない)
そして「わしは輝きが過ぎるのだ」なんてことを真顔で言ってのけた慶喜でしたが(思わず「ファッ!?」って声が出ちゃったわよ。そんな台詞に有無を言わせぬ説得力を持たせられるだなんて、その後の台詞も含めさすが国民的アイドルと言わざるを得ない。この仕掛けには心から感服するし完敗ですわ)、誰にも言えないようなことも言えちゃう間柄であるのだと、心からの笑顔で笑い合う二人なんてものがその直前に描かれていただけに、その円四郎が実家の手の者に殺されただなんて慶喜にとってあまりにも酷い現実すぎて、それに対してなにを言えばいいのか言葉がみつからない。