『青天を衝け』

最後まで見終えた吉沢亮主演の今年の大河ドラマはまさに「走って走って走りまくって走り切った1年間」でした。

孫(お亮の息子が泉澤くんでその息子が笠松将くんだとか脳がバグるわw)は「偉人と言われるのは違和感」と言うけど、若いころからずっと「この人とも知り合いになるのか!」という驚きを何度も何度も何度も何度も重ねつつ(土方歳三と「友達だ」と子供たちに自慢する栄一と、土方に食いつく女児たちに笑ったわw。わかるー!だって「この」土方歳三だもんねー!)、圧倒的な熱量でもって文字通り日本を引っ張る「渋沢栄一」はやっぱり偉人だし、なんならガチで凄すぎて引いたし、その生き様は実に見応えがあった。この「時代」を「渋沢栄一の目線」で描いたことは結果的に大成功だったと思う。
まあ凄すぎたせいか最後まで渋沢栄一という人物のことは尊敬はすれどもあんまり好きになれなかったけど。

1年間見続けたこの作品を表す言葉としては『熱量』が相応しいと思うのですが、その筆頭はもちろん主演の吉沢亮ですよね。

尋常ではない顔の美しさゆえにどうしたって「顔だけ」のイメージが(一般的には)強かった吉沢亮だけど、元来持ってる器用さはあまり表に出さずにいい意味で熱量だけで真っ直ぐ突き進みきった(そう描ききった)ことで俳優としての評価は随分と高まったことだろう(少なくともうちの母親は興味ないから「吉沢亮は上手い」に180度変わったわ)。
本来そういうタイプの人間でも役者でもないと、わたしのなかでの吉沢亮はどちらかと言えば闇属性なのでこれだけの熱量を放出し続けることはさぞかし大変だったのではないかと思うけど、よく頑張ったよお亮!。

その吉沢亮の栄一に対して常にその隣に高良健吾の喜作がいたこと、そして二本柱として草彅剛の徳川慶喜を配置したこと。これが最大の勝因だったと思う。

1話冒頭で度肝を抜いた「こんばんは、徳川家康です」というこの視点が「この道の先を歩いているのはあなた方だ。この物語の先に現在(いま)がある」と締めくくり、孫の視点で最終回を描き、トドメに紀行で劇中で栄一に名付けられたひ孫の雅英さんが実際に登場して栄一の思い出を語る仕掛けは見事と言わざるを得ない。
ああ、ほんとにこの物語は今の日本に繋がっているんだよなと実感というか、痛感したもん。
日の本はどうなってる?と聞かれ「恥ずかしくてとても言えません」と答えた敬三に、「なに言ってんだ、まだまだ励むべ」と汗を流して畑を耕しながらの栄一の言葉が刺さる。今の日本に国のために「励んでる」人がどれほどいるだろうかと。

それでもきっと諸外国との関係を含め「今の日本」を見てもどうにかすべく「まだまだ励むべ」と言うんだろうな。渋沢栄一、今の日本に転生してくれないだろうか。