加納 朋子『いつかの岸辺に跳ねていく』

いつかの岸辺に跳ねていく

いつかの岸辺に跳ねていく

生きることに不器用な徹子と、その幼馴染の護の物語。

中学時代から始まり(幼馴染としての関係は幼稚園の時から)徹子が結婚することを護が知るまでが「フラット」で、「フラット」のなかで護目線で描かれていたこと、護が見ていたことの云わば“答え合わせ”として徹子の目線でその心情を描いた「レリーフ」の二部構成になっていて、それ自体は別段珍しいものではないのだけれど、この作品はそれがとてもよくキマってる。

前半は正直どうでもいい話なんですよ。気は優しくて力持ちの男子とちょっと変わった幼馴染の女子との日々が描かれているだけでそれ以上のものはなにもない。でもそれが徹子の目線になるとひとつひとつのエピソードにドラマ性が生まれるのです。そこにあるのは緊張感とか緊迫感であり、一人の女の子が「誰にも知られずに」(護目線があることでそれがよくわかる)人生をかけて大事な人を守るために戦う物語になるのです。

で、「フラット」で描かれた護の話に「レリーフ」で描かれている徹子の話が追い付いたところでさあどうなる!?となるわけですが、ここがまたイイ!これがもう上手い!!。

なにが上手いって「根津君」の使いかた。まず根津君の告白を“徹子の能力”のなかで読者に見せてくれるところが上手いでしょ。そして根津君が探偵という仕事をしてることを護目線で情報として読者に伝えるところがまた上手い。読み終わってみれば「根津君が探偵に」ってところだけがややご都合設定のように思わなくはないんです。でも護目線だとすんなり読み流せてしまうので探偵・根津君に違和感がなく、ゆえにこの突如始まる暴露展開もスルっと受け入れられてしまうんですよね。そしてそこに徹子の「もって生まれた能力」に対し根津君の「仕事として培った能力」という対比があること。ここがほんとうに上手い。
徹子の能力と根津君の能力でもって「悪者」の目論見を暴き未来の不幸を防いだけれど、そうではなかった・・・という結末。その悪者をも救ったつもりでいたけどそうではなかったと徹子は考えるけれど、読者感情としては当然の報いであるわけで、物語として過不足なし(・・・ってところで、「レリーフ」の冒頭で描かれる徹子が神様と出会った話の種明かしがされるのですが、これはまあ私にとってはおまけみたいなものでした)。