『烈車戦隊トッキュウジャー』第40駅「誰があいつで、あいつが誰で」

まだ観てます(笑)。
他の男を愛していながらその男を守るために自分の側を離れようとしないグリッタちゃんと背中合わせで座るゼットが切なくて!!!。
グリッタ嬢が「見掛けによらず」可愛いことは明白なんだけど、でも「見た目」としてはアレであることもまた明白じゃん?w。
そんな存在を相手にして(背にして)これだけ切ない空気だせちゃうゼットってか兼悟って結構すごいと思うんだけど!。
・・・ってことを訴えたく、久々に感想を書こうと思った次第w。
布団の中で本読みながら見てる(BGM状態)ぐらいなんで見落としがあったりして理解できてないであろうことは認めますが、でもこれ濃厚すぎるシャドーライン側の事情に対しレインボーラインってかライトたちトッキュウジャーが“外野”すぎやしませんかねぇ?。物語として。
明が「ゼットを共通の敵としているのだから、俺がシュバルツについても損はないだろ」って言ってたけどほんとその通りじゃん?。誰と組もうが明のやってることは今までとなんら変わってないよね?。それをライトたちが俺達と一緒じゃないなんてヤダ!だってなんか寂しいもん!って言ってるだけだよね?今の状況って。
そして元はシャドー怪人である明なので人間の心の機微というか、胸の「ざらざら」がなんなのか理解できず、またライトたちの感情もよくは解ってないから説明できないってだけだよね?。
その擦れ違いを楽しむほどライトたちと明の間にあるであろう信頼感とか仲間感とか、そういうものがわたしの中には蓄積されておらず、ていうかザラムとシュバルツの関係性すらよくわかってませんからね。シュバルツは「将軍」という立場なのに対しザラムはただのシャドー怪人なんだよね?。別にシュバルツの部下で右腕だったとかさ、そういうことではないんだよね?。例えばゴーカイのジョーさんにとってのシド先輩のようにシュバルツにとってザラムが特別な存在で、ザラムにとってもまたそうであるとかさ、そういうことならこの展開ももうちょい楽しめそうなのに、全てにおいて温いんだよなー感が否めず。
で、今回のラストで敵の本陣が自分たちが探してた故郷(の秘密基地)であることが明らかになったことで、シャドーラインは城を守りレインボーライン(トッキュウジャー)は俺達の街を取り戻すとまさに陣地を巡る戦いになるようですが、ライトたちって昴が浜が闇に呑まれた時にイマジネーションが強くて呑みこまれず弾かれた子供ってなことだったよねぇ?。で、その子供たちがそのほうが戦いやすいという一方的な事情によって大人にされトッキュウジャーになったと。つまり昴が浜が襲われた時点ですでにレインボーラインは存在していて、とすればシャドーラインもまたそうである、ということになるわけだけど(昴が浜が襲われてんだから当然ですが)、昴が浜がキャッスルターミナルだっけ?になってるってことはじゃあそれ以前のシャドーラインはどこをベースに活動してたの??って話にならない?。流浪の電車だったとしても、ライトたちがトッキュウジャーになるのと同時に(昴が浜を闇化させると同時に)現体制を築いたということになるよねぇ?。でもそんなに新築感なかったようなw。


残り10話ぐらい?。どういう決着になろうがまぁ・・・観るだけですが、ネロ男爵には最後の最後まで皇帝の忠臣で居て欲しい。
孤独な皇帝にとって皇帝のことだけを想ってくれているネロ男爵がいること、そしてネロ男爵のその想いが皇帝に届いてないっぽいこと、これはわたしに残された唯一の視聴モチベーションです!!。