善の部分も悪の部分も両方併せ持つのが人間だってのは分かるんだけど、でもベム様がお手本にしたいと思ってる夏目さんが自らの中にある復讐欲という「悪」を抑えたのは「善」の心の力ももちろんあるだろうけどそれよりもベム様たちの“想い”の強さに負けた・・・的な感じにわたしには見えたんで、ベム様たちが「善」で柄本っちゃんが「悪」ってのはいいけど人間になる方法が悪である柄本っちゃんを取り込むことだってのはやや強引かなぁ。話としてはシンプルで分かりやすくはあるけど、立場や見方を変えれば善と悪が逆になることだってあるわけだから、その善と悪ってのを劇中でどう定義するのかなぁと。柄本っちゃんの悪はこれまでの緑汁の餌食になった人達を思い返せばなんとなく分かる気がするけど、ベム様たちの“人間を助けたい”という想いってのはわたしが思う「善」とはちょっと違う気がするし。
なんかさ、ベム様たちはこれまで迫害されながら必死で生きてきたわけだけど、でも産まれたときから家族のような仲間がいたわけじゃん。小春のように見守られ祝福されて生まれたわけではないけど、それでも共に生きる仲間がいた。だけど柄本っちゃんはずっと一人ぼっちだったんだよね。ベム様たちよりもきっとずっと強い孤独と戦い続けて生きてきたのだと思う。自分そのものである緑汁を人間に注入するのも結局のところ寂しさからくる自分を受け入れて欲しいという思いからで、自分は人間の中にある悪の部分をちょっと解放してやっただけだという言い分も人間の中に自分と同じものがあると確認することで孤独を紛らわせてたんだとすると、そういう意味ではベム様たちよりもより強く人間になりたい=ベム様たちに自分を受け入れてもらいたいと思ってたのは柄本っちゃんなのかなーとか思ったら、あれ?柄本っちゃんにモエてきたぞ・・・?(笑)。妖怪態こそ醜いものの人間態は美しいベムベラに可愛いベロと比べて本体は緑のドロドロで人間態も乗っ取った博士の姿ってあたりもなんだかとても可哀想だし・・・。しかもなんでか赤ら顔だし・・・・・・。
だからって柄本っちゃんに両手広げて「さあ、私を受け入れて!」とか言われてもそれはちょっと・・・・・・生理的に無理ですけど^^。
ていうかその場合取り込まれた側の柄本っちゃんはどうなるんだ?人間になったベム様たちの中で「悪」として生きるってことなのかなぁ?。
で、最終回は人間になるという長年の夢であり生きる希望を叶えるためにベム様たちが柄本っちゃんを受け入れるか否か、そしてその判断にそれを立ち聞きしてた夏目がどう関わるのか?ってことになるのでしょうが、でもベラベロはわからないけど少なくともベム様の中では夏目の復讐を止める際「俺は貴方を見て人間になりたいと強く思えた。人間に憧れを抱かせてくれた貴方の為だったら、俺は、ただの妖怪になっても構わない!」と言い切ってるわけでさ、それはいい換えれば夏目のような「いい人」になりたいベム様は悪を取り込んでまで人間になりたくはないってことなんじゃないの?。そこで夏目がベムさんたちが俺を止めてくれたように、もしベムさんたちが悪に負けそうになった時は俺が止めます!とか言ってくれるかもだけど、ベム様の中では結論出てる気がするんだけど。ただ最初に書いたように善悪併せ持つのが人間なわけだから、そこでベム様が悪を取り込むことを拒絶したならばそれは人間を否定することになると思うんで、そこで葛藤するのかなぁ。なんにせよ最後なんで思う存分美しく悩み苦しんで欲しいところ。
バラバラすぎる三人の服は旅の途中でそれぞれに合うものをゲットしたのかと思ってたので最初から博士が用意していたものだってのにはやや驚きました。博士ってばマイコレが過ぎるぜ・・・!。