『最高の教師 一年後、私は生徒に■された』最終話

うん・・・あんなにヒョイヒョイ転落できちゃうフェンスをなんとかせーよって話よね。花壇設置する前にやることあんだろと。
ってのがまず最初に思うことだって時点で結局わたしはお客さんではなかった、ということなんだけど、まあ里奈が死ななくてよかったよ。
そこは素直によかったと思うけど、でもだからやっぱり「鵜久森さんは2周目でも死んでしまった」ことが消化できない。
里奈のみならず鵜久森も「2周目」というSF設定についても片や1周目と同じだけしか生きられなかったのに対し片やこれからも生き続け(ることができ)ますとかオチ・・・という表現はちょっと違うんだけどタイプリープなんてものを劇中のど真ん中に据えておきながらそこになんの説明というかルールがなかったのもSF舐めすぎだろと思ってしまう。

だって主人公は(鵜久森さんも)「2周目」だから変えようと・変わろうとすることができたわけで、その結果「最高の教師は生徒たちだ」という「答え」を見つけることができたわけで、そのなかにはクラスメイトと共にほほ笑む鵜久森さんがいた(と主人公は思っている)わけで、でもそれは普通じゃありえないことだよね。
(イチ教師やクラスメイトが学園ドラマやってやったぐらいでどうにかなるような問題じゃないだろよ。卒業してハイさよならとなるならば、一生共にエンジョイ人生を演出してやることができないならばここで“こんな瞬間”を星崎に与えたことはむしろ無責任とすら思うけど?ってことはそれとして)他人と感情を共有できない、自分の人生には色がない、自分だけがそんな世界で生きていると思っている星崎を死なせずに(この場では)済んだのは2周目だからでしょ。
だから『なぜ』『この二人に』『2周目の人生が与えられたのか』については明確にしなきゃ話として成り立たないとわたしは思うんだけど、それについては放置したままハッピーエンドっぽく終わってしまったもんでとても座り心地が悪いです。

まあ卒業式の日に自分を殺した生徒を突き止め自分の死を回避するという目的を掲げたところから物語は始まっているわけで、夫と生徒たちと共に犯人=星崎を救ったことそれ自体が『二人に2周目の人生が与えられた理由』ってことなんだろうけど、もう一度言うけど鵜久森さん死んでるからな。
2周目ではやりたいと思ってたことをやれたから、東風谷さんに「好きになってくれてありがとう」と言えたから、全員で先生を心配できるクラスになったからのあの笑顔ってことなんだろうけど、その笑顔を見てるのが生きて人生を続けられる主人公だと思うと、鵜久森さんに『託された』のだというハッピーエンド感にゾワっとなる。

・・・ってところで3年後?の同窓会?とやらをHuluで配信しますってんだろ?そこまで付き合うつもりはないからわたしには関係のないことだけど、相変わらずセコイ商売だよな。