『王様戦隊キングオージャー』第26話「新王国の誕生」

「チキュー」という人類が生きる惑星にバグナラクという侵略者がやってきたってな話ではなくて、そもそも「チキュー」には人類とバグナラクが存在していて、両者は近しい生き物であるが、バグナラクは力を求めシュゴッドソウルを取り込んだ結果今のような姿形になった(対して人類はシュドットと手を組み、シュゴッドたちも自分たちを守るために手を貸した)と。
そしてそもそも両者がなぜ2000年もの間争い続けたのかと言うと、2000年よりさらに前、人類とバグナラクに憎しみの種を撒き、戦いの火を付け、地獄の業火に燃え上がらせたのはカメジムであったと。

それを知ったあとでこのデズナラク8世様の最期はあまりにも哀しすぎるけど、でも素晴らしいバグナラク篇最終回でした。

実は小さなタンチュラアビスが食べられてしまわないように守ってくれていたというデズナラク様は、ほんとうはシュゴッドを食べたくなんかなくて、共に生きたかったのかもしれないけど、でも戦わなくては生きていけないのがバグナラクの世界であり、その憎しみと戦いの連鎖によって奈落王・デズナラク8世となるしかなかった・・・のかもしれない。

憎しみ続けた下等生物に
「先に手を出したら悪とか、勝ったら正義とか、全部間違ってる!。本当に大切なのは、どっちが先に謝れるかだ」
「最初に僕たちを攻撃したのはバグナラクだ。それは許せない。でも、僕たちもバグナラクを倒してきた」
「たとえバグナラクが勝っても、人は必ず立ち上がる。何千年かけても復讐する。バグナラクも人間も同じなんだ。それを何万年も繰り返すだけだ。だからここで終わらせる」
と言われ、そして土下座で「ごめんなさい」と謝られてしまい、

「これで・・・こんなことで終わるのか・・・?」

と力なく呟くデズナラク様だけど、でもタランチュラアビスを守り続けたデズナラク様なので、ほんとうは、心の奥底では、自分たちを一方的に憎み嫌い恐れる人間にそう言ってもらえることを願っていたんじゃないかな。

光の届かぬ奈落の底、人が忌み畏れ嫌う場所でバグナラクは生きている
でも木や水や大地と同じ、神羅万象と共にいきている
だからお前が王となり、認めさせろ。バグナラクは「ここ」にいると!

とジェラミ―にあとを託し、そらを見上げ「明るい・・・!」と光を浴び、その身を焦がされ塵となったデズナラク8世様。

タランチュラアビスが花を手向けてくれたところでわたしは声を上げて泣きました。やめてえ~そんなん泣くってえ~!って。
カメジムに転がされた哀れな敵の大将として見事に散ってくれたデズナラク8世様の死にざまをわたしはわすれないよ。


そして王たちに認められ「狭間の国・バグナラクの王」となったジェラミーは人類に宣言する。

「人とバグナラクは仲直りできたと語り継いでほしい。子供たちに憎しみの種を植えたくはない。罪は犯したその人のみが負えばいい。そして次の世代へと受け継いで、永久に近い時をかけても、いつか人とバグナラクが手を取り合う日が来ることを願ってる」

これまでの「語り部」としての役目を降り、人々にそれを託し「王」となるかー。
そう言って片方は人間のソレで、片方はバグナラクのソレである両手を握るカットはジェラミーがよくやる仕草なんだけど、「この時」のための演出だったんだな。まさにバグナラク篇を象徴する瞬間だった。



さて、金髪ヤンマ君にわたしは耐えられるだろうか。