『最高の教師 一年後、私は生徒に■された』

あの高さの渡り廊下から落とされたぐらいで死ぬか?というそもそもの疑問にはまあ目をつぶるとして、これ『やり直し』は1度限りなのだろうか。
当初の時間軸では芦田パイセンの鵜久森さんは3年の途中で死んでしまったようなので九条里奈を突き落とした=殺した犯人ではないのでしょうが、だからこそまずは手始めに「絶対に犯人ではない」鵜久森さんのいじめ問題を暴いたというのに結局卒業式の日に突き落とされて、突き落としたのは鵜久森さんだったと解った瞬間また始業式の日?に戻るとか、そんな話ではないのか?。

などと考えるのはこれから犯人捜しというか、自分に向けられる殺意の理由を探すべく(排除すべく)初回のような感じで毎回生徒(間)の問題に首突っ込んで暴いて説教してでどこまで話がもつのだろうかと思ったからなんだけど。

そこはまあ3年A組チームが作ってることだし、適当なタイミングで「な、なんだってー!」な展開を挟んではくるのでしょうが(そもそも卒業するわけだからもう二度と会わない担任を人が大勢居る卒業式の日の校内で殺す必要があるか?と思うわけで、それだけ恨みが強いってことなんだろうけど、でもやっぱり普通に考えて不自然だと思うんだよな。だから里奈は自分を殺したのは「生徒」だと思ってるけど同僚教師の誰か、もしくは離婚した夫といった「大人」が実は犯人でしたってことはないか?。でもだとしたらわざわざ腕に卒業生のリボンを付けたのはなんでなんだ?ってことになるよな。あれを「目にした」のは殺されかけてる里奈であるわけで、じゃあ里奈に対する小細工なのか?となるけどでも里奈がそれを見るかはわからないし、ていうか殺そうとしてる相手にそんな小細工をしてなんの意味があるんだ?って話で、あーこうやってウダウダ考えさせられることになるのか・・・)、3年A組との大きな「違い」はタイムリープしてるってところなので、えーっと、鵜久森さんも当初の時間軸で死んだあとタイムリープしてるってことでどうかな?(適当w)。