逢坂 冬馬『同志少女よ、敵を撃て』

何度も何度もそれがなんなのかわからない感情のうねりのようなものに襲われながら、読み終えました。
エピローグでそれまで壮絶に戦いながら生き抜いた少女が「ロシア、ウクライナの友情は永遠に続くのだろうか」と思うという描写があって、小説(フィクション)ではあるけれどそこまでの「戦争」を読んだところでのこの一文を目にした瞬間の感情は言葉にすることができません。

この小説が世にでたタイミングで実際に戦争が始まってしまったことはもちろん無関係なんだけど(私がこの本を入手したのもロシアがウクライナに侵攻する以前のことでした)、私が今この作品を読んだことは私にとって運命とまでは言わないけれど意味はあるのだろう。いや、意味を持たせなければならないのだと思う。


現実のことは別として、小説として素晴らしかった。
ドイツ軍に母親を殺され故郷の村を全滅させられた少女が女性軍人に「戦いたいか、死にたいか」と問われるところから物語は始まり、自分から大切なものを奪った者たちを「殺す」ために戦うことを選んだ少女が同志たちとともに狙撃手となるべく訓練に励み、そして戦場で「命」を奪い奪われるという、とてつもなく重い物語なのですが、主人公のセラフィマを筆頭に登場人物が実に魅力的で、シスターフッドものとしてもんのすごく面白かったです。
そして読みやすい。決して読みやすいタイプの話ではないはずなのに、物語としてスイスイ読ませる筆力が凄い。

戦士として戦う女性の物語はさほど珍しくないように思いますが、ここまでガッツリ「女性部隊」の物語を読んだことがなかったので、それが史実であることも含めてとても興味深く読んだし、セラフィマが最後に撃つ「敵」が誰なのか、何なのかが「判った瞬間」は震えました。「何のために戦うのか」と問われたセラフィマの「答え」をここに結実させるのかと。

そしてそこで物語を終わらせずに「その先」を描く。戦争のその後を、「愛する人か生きがいを持て」と言われた元狙撃手の女たちが選んだその後の生き方、生き様を描く。戦争によって多くのものを失った者たちは何を得たのか。このパートが実にイイ。
まあいい気持ちで読み終えた瞬間この先に「今」があるんだよなと思ってしまったわけですが。


またすごい作家さんと出会えてうれしい。次の作品が楽しみです。