『ミステリと言う勿れ』episode.2.5 後編

通常であれば「最終回」と表記しますが、さすがにこれを最終回というのは憚られる。
劇中でそうとわかるようにはっきりと描かれていたように、このあとで4話の爆弾魔・三船の話になるわけで、だから時系列として「整くんはライカさんとお別れしました」ってのがドラマのなかでの最後になるわけですよね。だから10話が事実上の最終回ってことで。公式にも10話に「episode.final」とついてることだし(ていうかこの作品12話もやったのか。昨今の連ドラで12話までやるって珍しくない?)。

と思えるのはわたしが原作を読んでるからだろうなあ。原作未読で純粋にドラマだけを愉しんでいた人にとっては投げっぱなしで終わった感じだろコレ。
時期やらなにやらは全くの未定だとしてもせめて「続編やります」ということだけは告知すればいいのにと思ったんだけど、二期をやることが決まった?となにかで見たような気がしたのは気のせいだったのかな?。

前編にあたる前回を見終えて主に風呂光に対して抱いていたアレコレは「助けてくれてありがとう」と言う猫田さんであらかた解消されたし(というかよく考えたらどうでもよかったわw)、それ(風呂光を噛ませたこと)に伴い羽喰玄斗を掘り返すべく警察が腰を上げる流れも原作よりドラマチックになってたし(北村匠海にもういっちょ見せ場を作りたいという意図でしょうが、あのタイミングで牛田さんから送られてきたブツについて備前島警部が知ることにより十斗の訴えが「真実」であるほうに一気に傾くってのは良改変)、十斗編単体としてはそんなに悪くはなかったかなという感じではありますが、でもひとつだけ。

最終回にしてようやく理解したんだけど、甲矢の「兄貴感」が足りないのは我路が愛珠の弟ではなく兄に変えちゃったからだ。

月岡に会い、「姉にも幸せなときがありましたか」と言って泣く我路の頭をポンッとしてやる甲矢ってのがすごく好きなんだけど、姉の幸せを喜んで泣く「弟」じゃなく妹の幸せを喜んで泣く「兄」に“よかったな的な”頭ポンはまあ不要だわな。具体的にその違いを表現する言葉が見つからないけど、弟の涙と兄の涙じゃやっぱり「違う」し。
愛珠が好きになった月岡さんを漫画のイメージに一ミリも重なるところがない男にしたのも(漫画だとロン毛でタレ目の若い男性で、愛珠はこういう男がタイプだとは「意外」だという乙矢に甲矢が「いい趣味だ」って返すんだよね)、姉ではなく妹だからだろう。そんな改変をしてまで我路を瑛太にしたかった理由はいまだにわからんけど。

一方の新幹線内での絵手紙謎解きは“読み手によって意味が変わる”から如何様にも読めるしどんな解釈だってできるという話の流れで『ふたりでころした』と読み解く整くんの性格の悪さを原作以上に強く感じたけど、そう言われた育ての母役の高畑淳子の「貌」が一瞬で変わるのが凄まじかった。
あんな「貌」した人に「通りすがりなんだから忘れろ」と言われたのに「記憶力がいいほうなんで忘れません」と言っちゃう整くんはやっぱり性格悪いよなあw。


初回の遠藤憲一から始まって、柄本佑小日向文世岡山天音佐々木蔵之介ときてラストが北村匠海高畑淳子と、こうやって並べると世代の違い含めなかなかに凄いメンツだしそれぞれ見応えのある怪演でしたが、このキャスティングを可能にしたのは「ミステリと言う勿れ」という作品の魅力と「菅田将暉主演」の力だと思う。
それだけに脚本(主に風呂光さん絡み)と演出(主にBGM、特に主題歌の入れ方)が思いっきり足を引っ張ってたことが口惜しい。
この作品に恋愛は必須じゃないし、ましてやお仕着せの感動なんて不要です。続編をやるつもりならばそれを肝に銘じてほしい。