『ミステリと言う勿れ』episode.5

いやさあ、池本くんや青砥さんの出番(発言や仕事)を奪うぐらいなら我慢するけどさあ「久能さんに届いたブリザードフラワーに添えられていたメッセージカードに書かれた「会いたい」の文字を見てしまって動揺する風呂光」とか「温室で久能さんと女性(ライカ)が密会してるのを目撃する風呂光」ってなんなの?。

真夜中の三時にタクシー使って駆け付けるところまでは百歩譲って警察官として「念のため」で納得するとしてもあんな顔でその場から逃げるように離れてしまうんじゃこれもう恋愛感情的な意味での「ショックを受けて」にしか見えない。

本来落ちた指輪の行方を追う整くん(が変な格好してるところ)を目撃するのは看護師で、ガロくんから接触があったことを警察に「言わない」で留めてるところを風呂光が見てしまったとなると花の贈り主のことを知らない人だと答えた整くんは警察に対して「嘘をついた」ってことになっちゃうんだけど、この改変はちょっとまずくないか?。

この改変がこの先の展開に対してなんらかの不都合に繋がるってことではなく(それはないと思うんで)、これが“相棒の犯罪を隠蔽し続け最期の時を過ごす牛田さん”と“警察に「隠し事」をしてしまった整くん”を繋げるという意図でのものなら理解するけど、たぶん違うと思うのよね。単純に風呂光とのラブコメ目的だと思うのよね。
風呂光との恋愛要素を作るためにこういうところを改変しちゃう姿勢がまずいのではないかとわたしは思うのだけど。

ドラマ化に際しキャラクターとして出来上がってる主人公・久能整とは別に警察という組織で働く女性・風呂光の成長も縦軸として描くという意図それ自体は、「要」か「不要」かといえば原作を読んだ上で言うと「不要」ではあるもののわからなくはないとしても、なんでそこに恋愛感情を絡ませるのかと、なんで純粋に警察官としての風呂光の成長として描かないのかと。

風呂光が久能さんに恋愛感情らしきものを抱いているように“見える”のは引っ掛けで、そう思わせておいて風呂光は最初からずっと久能さんに対して刑事としての興味を抱いていただけだったんですよってなことに最終的にはなるのかもしれませんが、今現在風呂光うぜーと思ってしまうことは事実なわけで、小日向さん演じる牛田悟郎が期待以上に素晴らしく、整との「会話」だけでこれだけ濃密な時間であり物語を描くことができるというのに(そしてそれこそが原作の魅力だろうに)、それを余計なもので気を散らすんじゃないよと言いたい。

それはさておき、原作を読んだときは特にひっかかることなく読み流せたんだけど、牛田さんの相棒の「大博打」、妻の実家が経営する警備会社が警察の天下り先で不倫がバレるわけにはいかないという理由で死にかけるほどの傷を自分自身に負わせることができてしまったこともだし、罪をかぶせるために羽喰玄斗を独力で見つけることができたってことも映像として見るとさすがに「無理だろ」となっちゃうな。

と同時にそこを整くんが会話していた牛田さんは「その時既に亡くなっていた」という世にも不思議な物語的な落としどころにすることで読み流させてしまう原作の巧さを改めて感じる。


とまあいろいろ言いましたが、つまるところなにが言いたいかというと、予告の「燃やしてあげようか」にどう反応すればいいかわからないってことなの・・・。予告で流すなや・・・。