『仮面ライダージオウ』第10話「タカとトラとバッタ2010」

檀黎斗なんて飛び道具をここで持ってきちゃってこの先檀黎斗より大きかったり濃かったり深かったりする欲望の持ち主を出すことはできないのではないかと心配してたけど、王になって何がしたいの?→民衆をひれ伏させて大王になるって、コイツただの馬鹿かよ・・・・・・むしろぺらっぺらじゃねーか・・・・・・。

黎斗が人気なのって自己顕示欲とか承認欲とか、とにかく自分のすごさを(自画自賛含め)褒め称えてほしいだけで支配欲なんかとは無縁なところなのかなと思ってるんだけど、その点オーズ編でアナザーオーズとして登場した檀黎斗は真逆と言っていいほどの改変がなされてるけど黎斗ファンはこれでもうれしいのだろうか。

オーズ編でわざわざ他作品のライダーをアナザーオーズとして出したのは『父対息子』という共通点があるからだと思ってましたが(映司含め)特にそういうことでもなかったし、挙句肥やしだなんて、よくまぁこんな扱いにできるもんだわ。ドランさんの扱いもそう。

もはやレジェンドについては心を無にして元気な姿を眺めるだけだと思ってはいても、映司がアンクとともにオーズとして戦いながら1年間かけて見つけた答えを、アンクがいたからこその想いを、アンクのいない世界で政治家やってる映司に語られても一ミリも響いてこないっての。なんでこんなペラい台詞に聞こえてしまうのかと泣きたくなった。

1年間の歴史がなくなるってこういうことなんだね。いままで一応頭では理解してたつもりなんだけど、今回ようやっとそれを心で理解できた気がします。
それから、ソウゴの「王様になりたい」というトンチキすぎる発言にはそれなりの理由があるのだと、例えば両親を理不尽な理由で奪われたとかでそんな世の中をなんとかするにはどうしたらいい?→ソウゴが王様になってみんなが幸せに暮らせる国を作ればいいと誰かに言われたからとかさ、なんかあるんだろうと思ってたというのに『生まれたときからそんな気(王様になる気)がしてた』って、わたし的には希望の糸が完全に切れた感あるんだけどどうすんのコレ・・・。「俺の民になにしてくれてるの」って他人を「俺の民」扱いしてんのも引いたけど、「王を決めるのは俺!・・・って言いたいけど」って、本心としては言いたいんかいと・・・・・・。