『dele』第3話

今回は良かった!この話すっごく好き!!。
写真館の男と床屋の女の二十数年間。徐々に明らかになるその関係性、依頼人である写真館の男が自殺した理由、その意味が解るのは床屋の女だけ。だから女は決意した。止めた時計を進めることを。
写真館さんが海に飛び込んだと知り思わず駆けだした女の表情といったら。“監視対象者”としていろんなものを押し殺して生きてきた女の仮面が剥がれた瞬間を見せられたようで、言葉など不要だった。
静謐だけど濃厚で、なんとも言えない凄みがある話で、そんでもっての「5本のバラ」よ。
まるで写真館にずっと飾られていた女学生時代の写真のように色褪せた色調のなかで一際鮮やかなバラの赤。
5本のバラの意味を劇中で語らせず(見せず)、それを知りたいと思った視聴者が調べたところで「圭の優しさ」がじわっと染み入るように理解できるとか素敵すぎる!!。
逃亡中の元活動家の恋人だった女を公安のSとして監視し続ける男・・・なんていつの時代よ?な話がPCなりスマホなりでその意味を調べるという現代的な行為でもって終わるだなんて、まさにこのドラマに相応しい趣向に脱帽するしかないですわ。
わたしはそこに正当性のようなものを求めてはいないけれど(ドラマはそうでもないかもしれないけど小説版ではそれが自分たちの“エゴ”であるという自覚はちゃんと持っているので、そういうものだと理解してるというか、わたしはそれでいいと思って読んでいたので)、今回は祐太郎と圭が依頼人の“事情”に関わる明確な理由がある、というか依頼人の意図の元に動いてて(動かされていて)、本来ならばそういうことがないよう圭がコントロールしてるところを不在時に祐太郎が依頼として受けてしまった、という前段階があって、不本意な仕事だと思いつつも、一見(傍からみれば)孤独でありながらも監視対象者の声、語り口、その存在を感じ続けることで満たされていたのであろう依頼人の人生に共感、いや、共鳴かな、それができてしまった圭の姿に依頼人が重なって見えた祐太郎。これが何を意味するのか。
寂れた海辺の商店街というロケーションに抑制の効いた演出、そこに流れるマーラー交響曲第5番をはじめとするBGM。そしてなにより余貴美子高橋源一郎の存在感。それら全てから感じられる「画」の力に、ただただ浸れた1時間でした。