『昭和元禄落語心中』第9話

うわ!顔だけじゃなく首や手の肌感含めおかだま八雲の老けメイク頑張ったなあ!(お栄さんもいい感じに年を重ねた感)。高座の声こそ本来の年齢を隠せないけど(それはそれで八雲の天才性として受け止められる)それ以外のところはもはや違和感ないわよ!?。
むしろ松田さんのほうが若くない??という違和感というか不思議感はあるけどw。

信坊が随分と大きくなって、前半これでもかってぐらい彼らなりの「家族の形」「今の(が)幸せ」を描き、と同時に八雲の終わりが近づいていることをじわじわ見せつつ倒れるところでラス前回を終えるのか。
舞台で死にたいと、落語をやりながら死にたいと、落語と心中したいというのが八雲の希望であるわけだけど、そうはならずこの世にとどまってしまったのは「家族」がいるからなのだろう。八雲の言う「未練」ってのは「今の幸せ」に対してなのだろうなと、ドラマ版は強くそう思えた。
そう思えるからこそ、師匠が心配でも舞台を務めぬく与太郎渾身の落語シーンを見せてほしかった。与太は姐さんに師匠を頼むといい、姐さんは与太に舞台を頼むというってだけでもその覚悟であり想いは十分に伝わってはくるけども、竜星涼与太郎改め助六ならば、「ここ」でどれほど鬼気迫る落語を聞かせるのだろうかと期待せずにはいられないもの。

八雲のみならず小夏にもみよ吉の幽霊が見えていること。自分に対しては黙して立っているだけで何を言いたいのか解らなかった母親が女全開で“菊さん”にべったりと寄り添う姿を小夏が見ているってのはみよ吉と小夏の関係性としてとてもいい改変だと思う。小夏にしてみれば母親がおっさんを連れて行こうとしてるように見えただろうし、だからこそ小夏は「昔のことなんてどうだっていいからとにかく生きていてほしい」という自分の本心を口にすることができたのだろうと思える。
(しかしみよ吉は生きていた頃よりも幽霊のほうが地雷女感ありまくりで雰囲気あるなー。助六の幽霊はなんか笑っちゃうのにみよ吉はそれっぽく見えるのはなぜだろう。助六は八雲の願望みたいな存在であるのに対しみよ吉はガチ幽霊だからとか?)


ところでですね、八雲(おじいちゃん)と信坊(孫)が一緒にお風呂に入るのはわかる。与太(おとうさん)と信坊(息子)が一緒にお風呂に入るのもわかる。でも八雲と与太が一緒に入る理由がわたしにはわからないんですが!。二人とも信坊と一緒にお風呂入りたいとしても、三人一緒はないだろう!。
演出として助六と一緒に風呂に入ったことを思い出すためだということはわかりますが、銭湯ならいいけど(アニメは確かそうだった)あの狭い家風呂に八雲師匠と与太郎が一緒に入ってるだなんてわたし的には結構な衝撃です・・・。