『昭和元禄落語心中』第4話

やっぱりわたし育三郎の助六に魅力を感じない。というか、育三郎が演じる助六からは「落語愛」を感じない。菊比古と比べてその心中が描かれないことを差し引いても落語シーン含め演技が一本調子だもんで、人間として(キャラクターとして)どうにもこうにも味がない。落語はぜんぜんわからないもののそれでも助六の落語はアナウンサーが実況中継してるみたいな、声と滑舌の良さと勢いだけって感じで物語の面白さが伝わってくる気がしない。だから菊比古が“どうしても敵わない”と思ってしまう相手としての説得力に欠ける。従来の型にはまらない新しい落語をやりたいならやればいいだろうに、八雲の名前に拘ってるのも(ドラマ版を見てるだけだと)意味がわからないってか、継ぎたいならそれなりの言動をしろよと、まずは継いでから好きなことをやればいいだろうにとしか思えず、おかだま菊比古が役の成長と比例してじわじわ良くなっているだけに、助六の言葉選ばずに言うけど表面だけの破天荒感がとても惜しい。
でもだからこそ、ドラマ版の菊比古→助六にはより“他人にはわからない感”があるんだよなぁ。わたしにしてみりゃ“そこまでの男(落語)”には思えないけど、でも菊比古にとっちゃ憧れ嫉妬し心底惚れてしまう“それほどの男(落語)”なんだよなーってところになんとも言えないジタバタ感がある。
で、その男と並ぶために馴染みの女を捨てたのにその女はその男と駆け落ちするわけで、それが捨てられた女の「復讐」になるんだけど、いかにも地雷女だったアニメ版とは違い別れを告げられることを察して菊さんの杖を貰い受けようとするドラマ版みよ吉はむしろ健気で弱い女に見えるんで、それは復讐ではなく菊に負けた者捨てられた者同士の傷の舐めあいになるのかなぁ?。どっちにしても育三郎にはここから巻き返していただきたい!。