『昭和元禄落語心中』最終話

アニメとはちょっと違う助六とみよ吉の死の真相は火事場の馬鹿力だと思っても落下するみよ吉と小夏をあの状態から抱き抱える助六も無理だしその助六の襟を掴んで支える菊比古も無理だし、あの状態でみよ吉が押し上げた小夏を片手で受け止め片手で助六を引き続けるとか絶対無理だろうってなっちゃうのはそれとして、萬月さんが奇跡だという助六の芝浜を最後まで聴いたならば、それでも菊比古に「一緒に逃げて」と言いそれがだめなら殺そう(一緒に死のう)とするみよ吉がつくづく愚かだなとしか思えん。
大成功に終わった二人会のウキウキ気分のまんま小夏を部屋に連れてきたら修羅場だったってんでどうしていいかわからなかったにしても松田さんが超絶役立たずだし(ていうかこの部屋ってそもそも誰の部屋だったんだ?。みよ吉が取ってた部屋だと思ってたけどだったら松田さんが小夏を連れてくるわけないし、助六か(と)菊比古の部屋だったのかな?。だとしたらそんな部屋でべろんべろんするみよ吉と菊比古のアホさたるや・・・)、真相解明については「うーん・・・」ってな感じでしたが、それよりアレだったのが死神助六なw。もうちょい雰囲気のある死神にできなかったかなーw。

それ以外はいい意味でふわっとした、それこそ縁側で暖かい光を浴びているような、そんな最終回でよかったと思う。
中盤まで落語に対する人に対する愛憎、業、そういうものをじっくりねっとり描いてきたけど、最後は「母性」が小夏を救い、そして八雲を救う・・・というか、子供のようにベタベタ甘えながら「育ててくれてありがとう」と素直に言う小夏に「あいよ」と答え、迎えにきた助六とみよ吉(はなんでお前までくるんだよと思ってしまいましたが・・・)に向けた菊さんの照れくさそうだけど晴れやかな笑顔を見るに解放かな、いろんなものを背負いながら落語が好きで人を愛した男の人生の終わりとして、素敵な『成仏』でよかった。

・・・と思ったのに、九代目八雲の襲名公演を揃って見物しに来ててお前ら成仏してないんかい!!とw。
あと松田さん何歳だよ!?????w。
って思ったら、最後の最後は「「死神だよ」」とかー!。


母性という大きなもので包んでしまったことで、生きるなかで生まれる名前のつけられない感情、そういうわけのわからない感情や秘密を抱えるのが人間ってもんで、それは落語も同じなんだというこの作品ならではのテーマ性がぼやけてしまった感はありますが、それでも画面の美しさ、表情や仕草から感じ取れるものがたくさんあって見ごたえのあるドラマ化でした。