『僕とシッポと神楽坂』第4話

千津さんの家と同様にてっきり再開発がらみで坂の上の土地を手に入れたい誰か、具体的にはコオ先生の父親の会社である大沢エステートが術後死をこれ幸いと拡散して経営不振に追い込む魂胆なんだとばかり思っていたので、そんなひどい話ではなくてよかったとホッとした半面今回の話はいったいなんだったんだろうか・・・という感じが否めず。
いやだってこれさ、コオ先生の判断は果たして正しかったのか?って話じゃない?。ぐりの飼い主である井上さんは手術を強く希望している。そこにはぐりの前に飼っていた犬を手術を遅らせたせいで(自分が手術することを恐れたせいで)結果的に「手遅れ」で死なせてしまったという過去があり、今度は絶対にそんなことはしない、させないという思いがあるからだと。それはいい。それはわかる。でも手術はできてもぐりの体力の問題があって、田代先生は手術をしないと判断した。優秀な動物看護士であるトキワさんも同じ判断だった。でも飼い主の強い希望、想いがあって、1%でも可能性があるならそれに応えたいってなことで手術したわけだよね?。で、結果は手術は成功したけどその夜容体が急変してぐりは亡くなってしまったと。
それはさ、コオ先生の判断ミスではないの?。田代先生が言ったようにぐりの体力は術後の回復に耐えられるものではなかったということではないの?。
井上さんの息子が何の気なしに書き込みしたことで“医療ミス”として拡散されてしまったことと、ぐりの手術は成功したけど亡くなってしまったこと、そこを一緒くたにして話を作ってることが動物を飼うものとしてとても違和感だったんだけど。『飼い主』である井上さん自身は術後死からしばらくペットロス状態だったものの、前の犬とは違って今度は“やれるだけのことをやったけどダメだった”として、納得というか、言い方悪いけど自己満足できたとして、獣医であるコオ先生はそれで終わらせちゃいけないと思うのよ。
田代先生に次があったらまた同じことをするか?と聞かれるシーンがあったじゃん。あれ絶好の機会だったろうに、なぜあそこで『ぐりちゃんを救えなかった』ことについてコオ先生に語らせなかったのかなーと。
もしかしたら、ぐりちゃんはどのみち助からなくて、手術をしようがしまいがもう幾日も生きられない状態だったのかもしれない。だから本来なら手術などせず一日でも長く残り時間を一緒に過ごすことを薦めたのかもしれない。でも今回は飼い主の強い希望があった。実際手術をしてくれる病院がみつかるまでぐりちゃんを連れまわすつもりだったわけだから、それでどんどんと体力がなくなってしまうぐらいなら自分がやろうという判断だったのかもしれない。
だから『こういう結果』になることはある程度想定できていたのかもしれない。言ってしまえば、ぐりちゃんを救えないならせめて飼い主の希望を叶えようということだったのかもしれない。田代先生の「次もまた同じことをするか?」という質問はつまりそういう意味で、それに対して「次もまた同じことをする」と応えた、ということであるならば、そこはもっとはっきり語らせるべきだったんじゃないかな。飼い主にそれを語る必要はないけど、同じ獣医師として田代先生がいるのはそのためなのではないのかと。
予告で見てなんでそんなことに!?と心配してた『汚れちゃったダイキチ』はなんでもなくて(ただのダイキチ可愛いってだけで)よかったけど(医療機器よりもはやくぐりちゃんの異変に気付くダイキチってば可愛いだけじゃないなんて!!)、医療ミスとされて炎上のほうもわかってみれば井上息子の出来心が発端だったってのはいいとしてもIPたどってペットサロン?かなんかに辿りついたのはなんだったんだ?って話だし、今回はちょっと話の焦点がぼやけていたように思う。
あーでも田代先生の関わり方は非常によかったです。田代先生回としてはとてもまんぞく。