『真田丸』第11回「祝言」

室賀さんは見事な最期でありました。
久々に碁を打とうと肩に手を置かれ昌幸に誘われたところから、碁盤を囲みながらの会話、連れてきた二人は既に始末済みと言われ懐の短刀を碁盤に置き静かに頷き、帰りしな昌幸の耳元で「儂はお前の家来にはならん」と告げつつ足首に仕込んだ長針?で昌幸を殺そうとするも出浦さんに阻まれ、そして斬られ斬られて呻きながら廊下を這う室賀さんは、最期の瞬間まで戦い「真田(昌幸)に負けた者」として散るという惨めだけどカッコいい、筋の通った死に様だったのに、きりとかいう女のせいでぶち壊しじゃねーかよ。
室賀の亡骸を前に「徳川家康に唆され殿を暗殺しようとしたので返り討ちにした」という出浦様の説明を聞いた信繁は、祝言をダシにして室賀を暗殺するってな父上の“策”を見抜けなかったことにしか意識が向かず大切な梅の気持ちなんて全く考えられなかったと、「そんな自分が好きではない」「自分はどこへ向かっているのか」と、そう兄上に語ったわけですが、それを信繁に突き付けたのはきりの言動で、おそらくこの時点までは小うるさい幼馴染としか見ていなかったきりの存在が信繁の中で変わるキッカケになる・・・ってな意図でもって“室賀の暗殺を目撃したきりは信繁を呼びに走る”ってな展開を用意したのでしょうが、そのことよりも昌幸と信幸の計画をぶち壊したバカ女ってな印象のほうが強く残ってしまったのは、きりがあの場に居る描写があまりにも不自然だったからだよなぁ。
月夜を見ながら涙を堪えて兄上に語る信繁の台詞のために、信繁(と梅)の前でお梅ちゃんの気持ちはどうなるのだときりが訴えるってな場面が必要だったということは理解します。きりがあの場に居なかったら暗殺は粛々と秘密裡に行われていたであろうわけで、きりが居たからこそ緊迫感とか切迫感がある暗殺シーンになったのだということもわかってるつもりです(もうひとつ言うならば、現代の大河ドラマとして幼馴染を殺すために息子の結婚式を開く父親を「認めない」と劇中でハッキリと責める視点も必要なのかなーと)。でも信幸があれだけ必死に言い聞かせようとしてるのに、ガン無視で居座るきりってな描写はいくらなんでもおかしすぎると思う。
これが信繁だったらまだわからなくもないです。次男だし、幼馴染だし。でも相手は主家の嫡男なわけで、しかもその先には殿と殿と同程度の立場の客人が差し向かいでいるわけで、そんなところにノコノコ現れて居座る時点でまずおかしいじゃん?。百歩譲ってってこの作品の真田家ではそれが許されるんですってことだとしても、それは平時のことであって、信幸が「ここに居てくれるな」と言った時点で下がるべきだろ。信幸にあれだけ切羽詰まった口調でここに居られては困ると言われてもなんとも思わない(何も察することができない)とかどんだけバカなのこの女ってな話だよ。失恋でぼんやりしてたからなんてことは理由にならん。
必死で笑顔を作りながら梅におめでとうと言ってやり、源次郎から「お前に祝福してもらえるのが一番うれしい」とか言われちゃうきりはちょっとだけ可哀想だと思ったし、祝言の支度に口出しして梅に「源次郎様は私の旦那だから口出しすんな」とビシっと言われただけでなく「きりちゃんの気持ちわかる。まだ源次郎様のこと好きなんでしょ」なんて言われちゃったのにはさすがに同情したから(きりの気持ちがわかるといいつつ「私の旦那様」だと言い切る梅ちゃんやっぱ怖いわー)、源次郎の祝言の場に居た堪れなくて部屋を出るってのは気持ちとしてわかるよね。だからここまではいいとして、室賀さんを今にも斬ろうとしてるその瞬間に傷心を抱え屋敷をとぼとぼ歩いてたきりが偶々来ちゃって、信幸たちは一瞬躊躇ったもののでももう止められないから続行するしかなく、結果としてきりの眼前で室賀を殺すことになってしまった、つまりきりは巻き込まれてしまっただけ・・・ってな感じでも問題ないよね?。突然そんなものを見てしまい、源次郎を呼びに行くってのはこの流れでも出来るわけだし。
信繁の祝言を血で汚すことになると承知の上でこの策で行くと決めた昌幸の真意はともかく、信幸は弟のことを想って秘密裡に事を運ぼうとしたわけだよね。それをきりが台無しにした。きりが不自然にあの場に居座ったことで、きりが全部ぶち壊したようにしか見えなかった。挙句「お梅ちゃんが可哀想」ですからね。あとから祝言の裏でなにが行われていたのか知ることになるとしても、祝言の途中でそれを知るよりマシだろうし、なにより祝言の日にあんな場を見せられないほうがいいに決まってるわけで、梅を「可哀想」な目に遭わせた責任の一端は真田家の男達の意図を察することなく源次郎を呼びにいったきりにある。お前がお梅ちゃんの気持ちを語んなっての。
(大河とか関係なく女目線で語るならば、ちゃっかり源次郎の子を宿し側室のくせして祝言を挙げてもらう梅に対する嫉妬と敗北感でギリギリしてたところで暗殺を目撃したから「これで祝言どころではなくなる!ザマア」ってな気持ちも少なからずあったと解釈したいところだけどw。女って基本そういう生き物だからねw)
でも、だとしても“信幸に何を言われてもその場に居座るきり”というその描写がないだけで多少は印象変わるだろうに(他にいくらでもきりに暗殺を目撃させる手段はあっただろうに)、なんでこんな描写にするんだろうなぁ・・・?。きりがメインヒロインである以上この先劇的にかジワジワにか、きりの評価が変わるような話になっていくんだとして、そのギャップ狙いで最初はきりをあんまりよく描いていないということだとしたら、これもう手遅れなんじゃないかと思うんだけど。三つ子の魂じゃないけどきりの“性根”はもう最低ラインで視聴者の中に刻まれてしまったと思うわけで、ここからどれだけイイこと言ったりやったりしてもそこから上げていくのはかなり難しいのではないかなと。
ていうかさ、梅のことを知った内記が娘に「お前は孕んでないのか?」と聞いたところまではトーチャン最低だなwって笑ってられたんだけど、「お前に真田の跡取りを産んでほしかったのに」ってのはアウトだと思うの。だって源次郎様は次男であり、長男の源三郎様には(いくらアレとはいえ)嫁がいるわけで、きりが源次郎の息子を産んだとしても通常であれば「跡取り」になることはないわけですよね?。それなのに跡取りを産んで欲しいって、何考えてんだこいつってなもんでさ、子が子なら親も親だなとか思ってしまったわけですよ。だから尚更きりの性根がろくなもんじゃねーなと思えてしまう。
そうそう、台無しで思い出したけど、立場上側室扱いになるが他に妻を迎えるつもりはないので事実上お前が正室だと言う信繁の発言を「このあと信繁は四人の妻を娶ることになる」と冷静かつ辛辣にツッコミ入れる有働さんが凄すぎた(笑)。これ絶対ナレーションが有働さんだとわかったうえで三谷さんが言わせたかったに違いない(笑)。
そして言わせたかったといえばコレですよねw。


「しかし、(梅との仲は)いつからだ?」
「いつから、とは何をもって決まるのですか?」
「それはやはり・・・口吸いだろう」
「そういう話は・・・いくらなんでも・・・」
「・・・・・・忘れてくれ」
「それから、これはまだ誰にも言ってないのですが、梅の腹の中にはややこがおります」
「口吸いどころではないではないか!!」
「はい」
「・・・そんな顔して、やることはやっておるのだな」
「はいっ!!」


こんな大河ドラマいやだよ(笑)。
ていうか「接吻」という言葉がこの時代にあったのかどうかわかりませんが、「接吻」ではなく「口吸い」というところに三谷さんの変態性を強く感じます(笑)。
ていうか兄上もやはり口吸いは済ませてらっしゃるんですよね?夫婦やってんですもんね??(ニヤニヤ)w。


というわけで、今回のMVPはまちがいなくおこうさん!!。
自分に与えられた仕事がどんな意味を持つのかまったくもって分かってなかったはずだけど、それでも旦那様に頼まれたことだからと命がけで必死で踊るおこうさんってばちゃんと武家の妻やってんじゃねーの!。
おこうさんは信幸よりも年上なので大泉よりも年上の女優をキャスティングするってのはいいとしてもなんでこの人よ!?(長野さんが素敵な女優さんであることは存じてます)と思ってたんだけど、この可笑しみはそんじょそこいらの綺麗な女優さんには出せない(やらせたら痛い感じになっちゃう)だろう。と思うとなるほど納得ですわ。
なんにも出来ないゴホゴホ嫁という認識だったおこうさんが決死の踊りで株爆上げしたことを考えるときりもまだ一発逆転の可能性はある・・・・・・・かなぁ?。
作兵衛んちの物陰で悲劇のヒロインモードで泣いてるきりを一切気遣う素振りなく「源次郎いるか」×2と聞く信幸もよかったしw、今回は信幸夫婦超頑張った。
あといつもながら出浦兄貴の格好いいっぷりは異常な。やってることがカッコいいのは無論のことその見せ方、撮り方が異常に格好いい。今回の室賀さんが連れてきた家康の手の者二名が様子を窺ってる背後で壁がくるってなって出浦さんが現れたと思ったら一瞬で音もなく二人を斬り殺して障子をスッと閉めるとか、こんなん絶対カッコいいだろー!。