『真田丸』第27回「不信」

これまでいろんな作品で小早川秀秋という人物について見たり読んだりしてきたけど、“なかったことにされた”秀保の死を、秀保の簡素な棺を見送る金吾のガラス玉のような目を見て、ああもうこの人の中には決して拭う事のできない秀吉=豊臣に対する「不信感」がしっかりと根を張ってしまったんだなーと、その時がきたら(軍師官兵衛のときとは違って)無感情で裏切るんだろうなと、そう確信できてしまったし、これまでで最も小早川秀秋が裏切っても「仕方ないな」と思える。それどころか共感すらできてしまった。そう思ったことが、思わされたことが、この先に起こる出来事に対しどう影響するのか怖くもあり楽しみでもあり。
そして秀次さんは自滅ルートかよ・・・・・・。
秀吉は秀次のことを邪魔だなんてほんとうに思ってないんだろうし、後継者として育てるつもり(育って欲しいつもり)なのに、秀次はそんな秀吉の想いを悪いほうに悪い方に考えちゃって、その挙句自分で腹を切る・・・ってな展開になりそうだよね。そして秀吉は“勝手に死んだ”秀次に裏切られたと感じ、一族もろとも・・・ってな感じかー。
このドラマの秀次を好きになればなるほど史実として避けられない“最期”を思って、どんな感じでそこに至るのかを考えてきたけれど、これは秀吉の言い分も秀次の気持ちも理解できてしまうだけに、考えうる限り最悪の展開だよ。辛すぎるだろう。
秀吉に好かれようと思って能を一生懸命練習したのに(秀家脳筋スパルタすぎw)(その脳筋さがほんのちょっとでも秀次さんにあれば・・・)「そんなことをさせるために関白にしたのではない」ってさ、ほんとどっちも悪くないじゃん。確かに関白としてそんなことに時間使ってる暇あったら他にやることはいくらでもあるだろうという秀吉の言い分はその通りだけど(たぶん、秀次さんの能は結構うまかったんだろうね。自分も能をやる秀吉だからそれだけやれるようになるのはどれぐらいの練習時間が必要だったかわかるんだろうし、あと単純に上手いからムカついたってのもあったんじゃないかなー)、秀次の気持ちもほんとわかっちゃうんだよ。なんでこんなことになっちゃうんだろうなぁ。
秀吉の思いは秀次に届かず、秀次の想いも秀吉に理解してはもらえないというすれ違いを描く一方で官位を巡って真田兄弟の争いも描かれたけど、どっちもちょっとしたすれ違いの積み重ねというか、思い違いというか、腹割って話せば解りあえるだろうと思うんだけど、でも秀次の秀吉に対する恐怖心も、信幸の信繁に対する複雑な感情も、どちらも長年かけてじわじわと育てられてきたものであろうわけで、それは“家族”だからであろうわけで、だから話せば解るとかそんな簡単なものではないのかな。真田兄弟はともかく寧様ですら制御できなくなってる今の秀吉の「意」を理解するのは誰にもできないのだろうし。
この二つの気持ちの行き違いをただ並列に描くのではなく、主人公である信繁の“気遣い”が引き金になってるというか、信繁の“小賢しさ”が決していい結果を齎しているわけではないってところに脚本家三谷幸喜の力量を見ると同時に三谷幸喜という人間の歪みっぷりが見えた気がします。あの状況で信繁に自分を義経に例えさせ、それを兄がどう(内心)受け止めたのか、そこをハッキリ描かないあたりがなんとも・・・。
あと関白殿下直々に側室にならないかと誘われたってのに年単位で返事をしないってのはそれとしても、自分が「源次郎様の初恋の相手」だと思ってるきりヤバくねーか?。冗談でなく本気でそう思ってるようにわたしには聞こえたんだけど、こいつの中でお梅ちゃんってもう存在してないのか?。このところちょっとマシになってきたというか、精神面が成長したように思えていたけど、今回の言動は完全にストーカーのソレにしか思えなくって一気に「こいつヤベエ」ってなったんだけど。
そんな中、兄弟そろって官位を貰えることを“自分だけ知らなかった(教えてもらえなかった)”ことについてキレた信幸を「いやあ、怒っとったなぁ」って思いっきり他人事な昌幸にこのクソ親父!!(笑)と思いつつもホッとさせられてしまったわ。なぜそこまでやりたくないのかわかんないけど伏見城の普請をなんとかしてどっちかの息子に押し付けようとして「源三郎のフォローは俺に任せろ」とか言ってたけど、おまえぜってーなんもしねーだろ!!ってのな(笑)。