『真田丸』第50回

最後の最後まで感情が揺さぶられっぱなしの55分でした。泣いたところもあれば不満を覚えたところもあったけど、最後まで「真田の話」を貫いた最終回で満足です。
三十郎も作兵衛も、内記も、佐助も、見事だった。そのあとどうなったかこそ描かれなかったものの(わたしはそれを欲してないのでこれでいいと思うよ)千姫を徳川へ送り届けるという役目をキッチリ果たし即大坂城(源次郎様のところ)へ戻ったであろうきりも最後まで立派だった。
「もはやこれまで」と腹を斬る源次郎は過去ではなく現在を見ていた。愛する者たちの「今」を。そしてそれは未来に繋がる。六文銭を握りしめたお兄ちゃんが泰平の世を生きていく。
日の本一の兵・真田信繁(幸村)が今も多くの人に愛され語り継がれているように、(内野さんの家康や小日向さんの秀吉も含め)真田源次郎信繁を船頭とする真田丸もまた多くの人に何がしかを残し、語られ、思い出として在り続けていくのだと思う。
「何をしたかではなく、どのように生きたか」
1年間見続けた堺雅人が演じる真田源次郎信繁の生き様は最後こそカッコよかったものの大半は不器用で無様なものだったとわたしは思うのだけど、それが今このうえなく愛おしい。
源次郎が出会った人たちも、勝頼様から始まり毛利さんまでどいつもこいつも男前すぎてだな!!。
それは源次郎を、信繁という人間を通して見たからこその素敵さだったのだろう。そしてそんな男たちは信繁に教え、伝え、想いを託した。それを見守り続けた1年でした。
大河ドラマをちゃんと見るようになったのってここ数年ではありますが、1年間の体感速度はこれまでで最も、というかちょっとありえないと思うほどはやくて、たぶんそれは次回が楽しみすぎたからだろうし、それに最後まで感想書いた作品は過去にいくつかあったように記憶してますがここまで「書ききった」と思えたのは初めてで、それだけ充実してたってことだと思う。そんなこんなで1年間ほんとうに楽しかった。
真田丸が終わってしまったらどれほどの喪失感を抱えることになるのだろうかと思ってたんだけど、今はただただ1年間楽しかったという満足感でいっぱいです。
でもスピンオフは大歓迎よ!直江様の話でも治部&形部の話でも七本槍の話でも毛利さんの話でも叔父上の話でも、ていうか直江様の話とか!!。