それが主題でないことはわかってるんだけど、「教師が放火したわけじゃなくて放火魔が教師になっただけでしょ?」って、う、うーーーーーーーーーーーーーん?????
確かにそれもそうだと思いそうになったけど、でも許せるラインってあると思うのよね。
殺人は当然として放火とレイプ(性犯罪)と動物虐待もわたしとしては許せないライン。
前回放火犯が教師ってどうなんですか?と問うた蜂矢先生が大好きですと言われてなんかよくわかんない勢いで「いずっぱこなめんなよ!」ってところに着地したのはまぁ当事者であることだし、蜂矢先生がいいならいいんじゃないの?って思えたんだけど、みんながみんな「別にいいんじゃないの?」って認めちゃうのは違うんじゃないの?というかなんというか、それでいいのか?感が否めない。流れでDJカバさんであることをカミングアウトする校長はクッソ面白かったけどw。
自分のせいで仲違いすることになってしまった東高と三女の関係を修復しやるはずだった合同文化祭を開催するために教師になったと、そこは納得できたんですよ、心情として。それが自分なりの贖罪というか、ケジメだったんだろうなーって。思い返しても9話までの平助の言動の背後に「14年前から合同文化祭をやるためだけに教師をやってきた」なんて想いは感じ取れないんだけど、隣の学校燃やしたくせに教師になった理由は理解できた。まぁ火を付けてやろうと思ってやった行為ではないし、親友が好きな女とイチャイチャしてるのを見ちゃってロケット花火撃ち込んじゃうってな気持ちも理解できなくないしね。
だから平助は後ろめたさを抱えて生きてきた14年間を経て、自分なりに決めていた贖罪を果たしみんなに庇われ許してもらえたことでようやく卒業できて「よかったね」と思うにしても、同じように、いや、同じじゃないよ、身に覚えのない罪を着せられ青春を奪われた祐子とサトシも卒業させてやれよと。サトシはともかく祐子は「許せるわけないよ」って泣いてたじゃん?。許してあげてくれないかな?って妹に言われて「大人になったね」って言ってたから“妹に免じて許した”ってことなのかもしれないけどさぁ、なーんかスッキリしないものが残るんだよなぁ。ずっとごめんねを言いたくてでも言えなかった平助がついにごめんねを言えて、そして今度は三島市民のごめんねを聞く者となったってな結末はバッチリ決まってるのにー。
ていうか礼拝堂が燃えたという事実に対する原因であり犯人でありをグレーというか、主人公である平助はあくまでも“自分がやった”と思っていることが重要であって本当に犯人であるかどうかはどうでもいい・・・という結末にするのなら、これなんで放火なんて重犯罪にしたんだろうなぁってところに戻っちゃうのよね。放火である必要性ってあったかなぁ?って。逆に言えば平助の気持ちの問題であってなんだっていいわけだから放火でもよくね?ってことになるかもだけど、繰り返すけど放火はわたし的には許せないラインなんですよ。だから平助はそう思っていたけど、自分のしたことを「ごめんね」したけれど、今イイ感じなんだからいいじゃんって赦されたけど、でも実は犯人は・・・そうだなぁ・・・ザビエルだった!・・・と思わせて全然知らない人でしたーwってんでいいからオチつけてほしかった。上手くいかないし納得いかないのが青春だとしても!今が楽しければそれでいいのが青春なんだとしても!。
とか思っちゃうわたしって自分で思ってるよりも結構頭硬いんだなー。
でもまぁ毎週楽しませてもらいました。画面からもう「楽しい!!」ってのがダダ漏れで、そのおこぼれにあずかってた感じw。こういう現場を経験したことは若いキャストにとって財産になるよね、きっと。
ていうか最終回いっちばんいいとこ持ってったのが成田ってのが最高すぎた。成田のこのポジションってのは自力で掴みとったものだろうわけで、なんかちょっと感動すらしたわw。