以前からこういう役、こういうポジションでちょいちょい連ドラゲストとしてドラマに彩りを与えてきた松下洸平くんですが、以前との大きな違いは多くの視聴者に「松下洸平」として認知されている、ということを感じることができることにある。このドラマが終了するときに「2話の犯人役のひとうまかったよね」と思い出されるのではなく「松下洸平の話がよかった」と、そう思い出されるであろうこと、それを実感できる1時間でありました。
・・・いやまあたぶん松下洸平よりも「八郎さん」って呼んでる(覚えてる)人のほうが多いだろうけどさ(そこはわたしも身に覚えがありまくりなんで否定できない)。
伊吹という「野生のバカ」に振り回される形でキャラクター説明と舞台背景の説明をしながら(それを主目的とした)のストーリー展開であった初回に対し、警察(機捜)ドラマとして「事件」をじっくり描くことができたせいか2話はぐんっと見やすさが増したなあ。あと初回にあったそこはかとない気持ちの悪さが2話にはなかった。あれ一体なんだったんだろ?。
犯人がほんとうに無実で、それでも逃げたのには理由があって、それは「なに」かを描くことが目的なのかと思いきや、ほんとは殺してて、ほんとに殺してて、理由はどうあれ殺人犯で、自分を精神的に虐待し続けてた父親は知らん間に死んでて、息子が殺人を犯したことを知らずに死んだ父親をもう殺すことも、謝ってもらうこともできないと、この時点で自分で自分を追い詰めていく松下洸平の演技込みでドン底に落とされたけど、そんな犯人にカージャックという形で知り合った夫婦が「ごめんね」と言ってくれた。夫婦がほんとうに「ごめんね」を言いたいのは息子に対してなのだろうし、犯人がそれを言ってほしかったのは父親であるわけで、だからお互い「代わり」なんだけど、それでも加害者と被害者にとってその「ごめんね」は解放であり救いだったんじゃないかな。富士山をバックにしてあたまを下げるカットがほんとうによかった。
終わってみれば「加々見が犯人か否か」という話ではなかったし、自分勝手な犯罪(者)でしかないんだけどさ、それでも伊吹と志摩とともに同情のような感情を抱いてしまい、それでも逮捕する二人に、逮捕される加々見に切なくなってしまったってのは加々見を演じたのがまだ八郎のイメージを引きずる松下洸平だからってところが多少なりともあったと思うんだよね。そういう意味でとてもいいキャスティングでした。
ていうか白シャツに返り血を浴びて逃走する松下洸平をありがとうありがとうありがとうございます!!!!!。
そしてこの犯人の話と伊吹と志摩の話が「ごめんね」で繋がる。ここがベタだけどこれまたよかった。初回の孫と再会するおばあちゃんを見て「機捜っていいな」とか言ってんのは、え?なんでそうなる・・・?としか思えなかったけど、“事件が発生して捜査して犯人を逮捕して終わり”ではなくそれにより志摩であり伊吹がなんらかの影響を受け、それを積み重ねていくのだとしたらその先になにがあるのか楽しみ。
あ、そうそう。窓からゆで汁捨てるの、「この人もあたまおかしいです」という陣馬のキャラ説明のための描写ってだけかと思ってたら、そのせいで本部を追い出されて所轄に間借りする羽目になったとか展開としてめんどくさくて笑ったw。