『家族狩り』最終話

筋はそこまで違わないものの本質の部分が原作が描いたものとはもう真逆といっていいぐらい違うものになっちゃったけど(馬見原に踏み込まれて「(今まで狩ってきた家族の)桁が違う」ってわざわざ訂正する大野には笑っちゃったわw。言わずにはいられなかったんだろうねぇw)、ドラマというエンターテイメントとしてはまぁ・・・綺麗に終わったと言っていいのではないかと。
山賀・大野夫婦が生きているのか、それとも第二第三の山賀・大野夫婦が日本のどこかに存在しているのか、はたまた山賀・大野のような人間が関与せずとも(手を貸さずとも)自ら終わらせるという選択をする家族がいるということなのか、それは好きなように受け止めればいいというオチを含めて。
軸としては不要なんじゃないか?と思わせられ続けた馬見原の話を綾女母子との別れと娘の旦那に頭を下げる父親としてなんとかまとめてくれたし、終盤影も形も見えなかった産むから女も案の定筋肉馬鹿に乗り換えたものの表情だけで未練というわけではないんだろうけど身を引いた形に近いのかなーという巣藤への気持ちを見せてくれたし、まぁ終わりよければ的な感じかなーと。
涙をこらえ必死に笑顔を作ろうとしながら銃を握る水野美紀もよかったし、巣藤に背中を向けた瞬間の山口紗弥加(の表情)もよかったし、なんといっても喪服の松雪さんが美しすぎて!!!。
なんだかんだで形としてしっかりまとめることができたのは、松雪さんを筆頭に役者の力が相当大きかったと思う(元えーけーびーの人除く)。役者の表情とか雰囲気でどれだけ展開だったり瞬間瞬間の画だったりが助けられたことか。
と同時に、天童荒太という作家によって紡がれる・・・というより絞り出されると表現するほうが相応しいかな、その『言葉の力』を改めて見せつけられた気がします。天童作品が持つあの・・・・・・チリチリする感じを映像という万人に「見える」形で表現するのは不可能なんだろうなーと。
しっかし松雪さんがダブルでたすき掛けしてたバッグに何が入ってるのか、これだけは最後まで謎すぎたわーw。小さい方は私物だとして大きい方。仕事に必要なものが入ってるのでしょうが、それを使う(そこから何かを取り出す)場面は一度もなかったし、第一ダブルたすき掛けしてる人なんて街中でそうそう見たことないじゃん?w。なんでわざわざそんな珍しいスタイルにさせたのか、その意図がわたしには最後までわかんなかったですw。ていうかダブルたすき掛けでもその美しさが全く損なわれない松雪さんってやっぱすごいわ。