『家族狩り』第1話

これこんな話だったっけ・・・・・・?。登場人物の名前とかそれぞれの属性(職業)なんかに憶えはあるんだけど、こんなにこう・・・・・・ごちゃごちゃした話だったかなーと。
ていうかおそらく逃げ場のない話のなかでオアシス的な存在としてのキャスティングなのでしょうし、そういう演技(演出)なのでしょうが、伊藤淳史が演じる巣藤パートとそれ以外のパートでのトーンが違いすぎて。ついでに言うと心象風景のつもり?のスタイリッシュフルーツ映像も。あと尾崎豊。それぞれがまだひとつの作品として混じりあってないから散漫な印象なんだよなぁ。
スパイスというかアクセントというか、シリアス一辺倒だと見ていて疲れるしなにより辛くなるから巣藤にそういう要素を持たせるのはいいと思うんだけど、それにしたってペラすぎる。“家族が揃うことはない”という大事な発言ですらそこになんの重みもなくってとにかく浅いんだよね、キャラが。生徒にレイプの罪を着せられそうになったのもまぁそうだけど、受験に関係のない美術の授業でも単位として影響するんだぞ云々の話で生徒たちから「パワハラ」だ「撤回しろ」と言われた時の軽さね。そういう現状に鬱屈を抱えてたりとか巣藤の中にもあるであろう翳りが今のところは全然見えない。意図的にあえて見せないようにしてるんじゃないと思うんだよな。
巣藤を通して事件を描くのだとすると、このキャラはちょっと厳しいかなぁ。てかいっそ家族問題とか全部取っ払って単なる“前衛画家になる夢に挫折した大人になりきれない男”ってだけでいいのかも。そんで年上女(山口紗弥加がもうすぐ40の役で松雪さんが35の役って、そこになにがしかの含みがあるのかどうかが微妙に気になります・・・)にとっ捕まって結婚&父親になるという現実を迫られるも踏ん切りがつかず逃げてるダメ男という見たまんまの人物であるならばそのつもりで見られるんだけど(明らかに原作とは違うんで、もしかしたら見たまんまである可能性はあるけど)(ていうか個人的にはキャナメが理想です)。
そして厳しいといえば松雪さん演じる游子ですよ・・・。游子(とその家族)もまた微妙に設定変えてて、游子(家族)と巣藤を出会わせるための改変かなーと今のところは思ってるんだけど、後遺症で寝たきりもキツイけど、徘徊癖のある痴呆は他人(世間)への迷惑という意味で家族の負担すごそうだし、これだけ仕事中でもしょっちゅう父親探ししなければならない様子を見せたということはこれで終わりじゃなかろうわけで、なんかこの・・・逃げ場のない感じが他人事じゃないというか、まぁ・・・そういうものを背負わなければならなくなるかもしれない人生というものを想像できなくもないんで結構キツイ。井上真樹夫さんがナチュラルに痴呆老人を演じてらっしゃるので余計に。
ていうかわたしにとって松雪さんは憧れのひとなんで過剰に思い入れというかなんというか、身の程を知れこのブス!!!と言われるの覚悟で書いちゃうと松雪さんに自分を重ねがちなところがあるんで^^^^、わりとキツイ感じです。眉間に皴よせて机にばんばんチョップ入れてても松雪さんは素敵&天童荒太は好物なんでキツかろうがなんだろうが最後までしっかり見届けますけども!。
あとまぁ次回への引きとしてあのシチュエーションを用意したかったのはわかるけど、あれだけ鑑識が入ってるのに犯行現場である一軒家の二階をあの段階まで誰も調べないってのはちょっとなーと。凄惨ながらも美しい犯行現場という『見せたい映像(ビジョン)』はいいと思うし、心理面を含め多面的多角的に描くために丁寧に伏線張ってるのもわかるんだけど、「ちょっとなー」が積み重なっていくとせっかくのそれらが相殺されてしまうことにもなりかねないので。