『THE ALUCARD SHOW』@AiiA Theater Tokyo

はぁ・・・・・・・・・・・・っ。
カッコよかった。ALUCARD最高にカッコよかった。
こんなにもダークでハードでエロティックでストイックなダンスユニットを世に送り出してくれた河原雅彦さんを始めとするスタッフ関係者各位に全力でお礼が言いたい!!!。
・・・・・・・・・それ以外はあんまり(笑)。


いやこれ河原さんが長年温めてた企画(やりたかったネタ)ってな話ですが、そのわりには中身がないってか、何が言いたいのか何を描いているのか、それが何度見ても解んなくてですね。公式にストーリーが掲載されてるんだけど→http://alucard-show.com/story/ これ“あらすじ”だと思ってたのに、ここから掘り下げられるんでも話が広がるでもない、もうネタバレどころの話じゃねえまさにこのまんまなのよ。ストーリーとしてはこれが全て。

「吸血鬼」と「ポップスター」という云わば対極の存在、かたや月光を背負いかたや太陽のごとき光を放つ存在を(冒頭の黒衣を纏ったブラド様(アルカード)と白いドレスのマリア(のバックダンサー)が背中合わせで入れ替わるシーンがその象徴であろう)、ゴシックと音楽(ロック)を融合させたダンスショーで繋ぎ魅せたい。その中に『スター』・・・というか偶像、ズバリ言っちゃえば『アイドル』に対し盲目的に熱狂し溺れ、もっともっとと暴走する要求する欲望はやがて飢えとなり・・・、それをアルカードを文字通り『追っかけ』たサラ(高田聖子さん)と元々は彼らにスターの座を奪われたマリアのマネージャー(でありプロデューサーでもあったんだと思う)でありながらアルカードに魅入られてしまったウォルター(酒井敏也さん)、そして国民的人気アーティストだったマリア(真琴つばささん)という、最も近くで、そして最も激しく彼らによって運命を狂わされた“張本人”を語り部として、今現在の彼女達自体がこの物語の“象徴”であると、それを不幸とみるか幸福とみるかは観る人次第的な、そういうちょっと意地悪な目線で描くという意図だったのかなーとわたしなりに理解したつもりではありますが、肝心の「ALUCARD」の『何が世界中の人々を惹きつけたのか、こうまで熱狂させたのか』、そこがわかんなかったんだよねぇ。その『何が』の部分が分からないのに世界中が熱狂したこと『それ自体』を描いているわけでもないと思うんだよな。
そして彼らの目的を知ったあとでは、彼らがその目的を果たすために『ダンス』という手段を選んだ理由がわからなかった。彼らにはもっと他にも選択肢はいくらでもあったはず。彼らはそういう存在でしょう?(一応ブラド様が「今回はダンスユニットでいこう」と悪魔的な笑みとともに思いついたと脳内補完しましたが)。

繰り返すけどブラド様率いるALUCARDは最高にカッコよかった。彼ら自身は文句のつけようがないカッコよさだった。でもこのカッコよさは『世界中の人々』=大衆を虜にするようなものかなぁ?と。
アルカードの目的は「生き血」で、それもアルカードのことが知りたいと、もっとアルカードが欲しいと、その愛情・・・というよりも欲望を限界まで高まらせ、飢えで乾ききった人間の生き血なんだけど、“人間”っつっても誰でもいいわけじゃないってか、はっきり言っちゃえば“若い女の生き血”なわけですよ。実際に吸血シーンがあるけど所謂グルーピー的な娘たちが相手だし、ウォルターが「なんで俺の血を吸ってくれないんだ!」と嘆くんだけど、つまりそういうことですよねと。だったら「世界中の人々を虜にするスター」なんて存在である必要なくねーか?と思ったんだよね。

中途半端に吸血するからグールというかゾンビというか、娘たちがそんな状態になってしまうんだとサラにウォルターが言う場面があって、だからアルカードは娘たちを適当に食い散らかしてる(飲み散らかしてる)んだろうなーってことは想像できるよね。それはつまりそんな扱いをしてもいいほどの“餌”があるからであって、それは彼らが“国民的スター”であるからだ、ということなのでしょう。だけど前述の通り彼らが好むのは若い女であるわけで、“国民的”を“老若男女”と言い換えるならば少なくとも“老”と“男”はいらないわけじゃないですか(わたしの好みとしては“男”は入れて欲しいところではありますがw)(これについては後述します)。だったらさぁ、国民的スターなんて大きな存在にせず、アンテナ張ってる若い女性を中心とした局地的かつ爆発的人気、知る人ぞ知る噂のダンスユニット・・・ってんでよかったんじゃないかなーと思ったの。それこそテニミュぐらいの人気感。

語り部たちはアルカードのことを「今じゃほとんどの人が忘れてるけど」と語るんだけど、彼らが語るアルカードってニュアンス(イメージ)的にはマイケルジャクソンとかマドンナとかそんな感じなんですよね。アルカードに取って変わられるマリアの“新路線”もガガみたいな感じだし。でも実際目の前で歌って踊ってるALUCARDは決してそんなスケールじゃないんですよ。めったくそカッコいいんだけどでもそれはまさにこの舞台を上演してる会場ぐらいのスケール感でしかなくって、でもだからこそ、であるが故に密度は濃厚、お茶の間なんてありえない全員が全通!!ぐらいの“熱狂度”であると、彼らの話は女の子の間を噂として駆け巡り、一度でも彼らのパフォーマンスを見てしまったら全員が狂ったように夢中になると、そのほうが断然しっくりくるんだよねぇ。

だってさ、現実的な話、アルカードが劇中でこれだけ語られているほどの人気だったならば研究者とかいるだろとw。アイドルオタク舐めんなよってな話じゃんw。マリアたちの現在の姿がまるで中世ヨーロッパのごとき恰好で、おまけに年齢を重ねてるっぽいことからしてブラド様の・・・眷属(仲間)になったというわけじゃあなさそうなんだけど(眷属になれば姿形はその瞬間のまま止まるってなイメージなんで)、だとしたら語りの中のアルカード(と当時のマリア)のパフォーマンスは現代的なのになぜ今のマリアたちはそんな姿なのか?と思うわけで、だからもしかしたら三人の語り部による話自体がまるっと嘘・・・というか、ブラド様に見せられた幻だったりするのかしら?なんてことも考えたりしたんだけど、そうではなく語られた通りであるならばマリアたち同様今もなおアルカードを熱狂的に追い続けてる人がいるはずだと思んだよね。人気絶頂で忽然と姿を消したダンスユニットだなんて恰好の研究対象じゃん?。姿を消した娘たちの家族だっているわけだし。つまりアルカードを求める人々の分母が多いってことは彼らを記憶する人間の数もまた多いはずなわけで、だから語り部によって語られる過去と現在の間に違和感を覚えるわけですよ。これこそが物語(ストーリー)の仕掛けってか肝なのに!。

で、アルカードを国民的スターなどという設定にした理由ってのはアルカードにあるのではなくマリア役に元宝塚のトップスターである真琴つばささんを配役したから、なのではないかと思うのですが、このマリアという役もなぁ・・・・・・微妙なのよねぇ。
前述の黒いブラド様と入れ替わり白ドレス姿で歌うのが“マリア”の登場シーンなんだけど、このマリアとアルカードをバックダンサーに従えての“新生マリア”が違いすぎるんだよねw。新生というだけあって相当な路線変更なんだけど、いくらなんでも路線変更しすぎやろと(笑)。例えていうならセリーヌ・ディオンレディー・ガガになるようなもんですからねw、迷走以外のなにもんでもねーだろこれ(笑)と思っちゃう。だからALUCARDにその人気を奪われてもALUCARDの圧倒的魅力というよりもそれ以前にもうマリアというアーティスト自体が落ち目なんじゃないの?と、そう思えちゃうんですよね(そういうことじゃないんだよね?)。

アルカードに全てを奪われたマリアはブラド様に剣を向け斬りつけるも「まだ足りない」と言われるのね。そしてマリアは何が足りないのかその答えを見つけ、自分なりのやり方でアルカードに勝負を挑むんだけど、バンパイアハンター(笑)になったマリアは超カッコいいんだよね。この時のマリアはブラド様を抜いたアルカードたちが“雑魚”に見えるほどカッコいい。この時アルカードってばマントアクションだってのに(マント着用するのはこの時だけ)、後ろ回し蹴り喰らわすマリアのほうが断然カッコいいの。カーミラに捕えられ背後から血を吸われそうになるも後ろ手で心臓に銀の十字架を溶かして作った杭を突き刺しぶっ殺し、それを見てビビるアルカードに「安心して。(銀の杭は)全員分用意してあるから」と言って黒いコートをバッと開いて見せるマリアはさすがのカッコよさなんですよ。
だからまぁ・・・ブラド様はマリアがこういう女だと解ってて、だから始まる前から終わりかけてたとしか思えなかったマリアに特別な執着を見せたんだろうなーと、ブラド様によって「憎しみ」の心を引きずりだされたからこそマリアは正真正銘スターであった当時の輝きをバンパイアハンターとして再び放つことができたんだろうなーと、そう思えはしたんで、もしかしたらこれこそがマリアというキャラを演出する意図だったのかもだけど、なんか・・・チープなキャラだなぁってな印象は初見から千秋楽まで変わらなかった。

そういう意味では聖子さんのサラもひどかった。サラはもうわたしたちの代表というか、わたしたちを過剰にデフォルメしたようなキャラクターなんだけど、こんなに下品な演出にする必要が果たしてあったのだろうかと。自分で「欲情おばさん」と言うぐらいひたすら欲情しまくってて、「おまえらなんてはたから見ればこんなだぜ?」とでも言いたいんですか?と。聖子さんだから笑えたけど、てか力技で笑わせてはくれたけど、この作品の世界観と合ってなさすぎて気の毒すぎた。聖子さんなら「下品」で「猥雑」な女をもっと“女から見て”魅力的に演じられるはずなのに。格好(衣装)とか何でこれ?としか思えなかったからこの浮き具合ってのは意図的なのかもだけど、だとしたらわたしにはその意図が全く理解できなかった。
てかこのおばさん、対ブラド様限定とはいえ記者会見の場で至極的確な質問をしてたんだよね。だからショービジネスの世界ではない“こっちサイド”でアルカードを追う視点としてならば、売れないフリーのルポライターとかでも良かったんじゃないかなーと思った。おそらくサラとウォルターはどちらかもしくは双方に感情移入する(させる)ためのキャラなのでしょうが、多分サラに感情移入する客はいないと思うんだよなぁ。サラになりたいと思う客はいないんじゃないかなーと。逆にウォルターは全員が『変わってください!!!!!!』と思うシーンがあるし、そういう意味では屋敷に呼ばれたアルカドニアという恰好の願望投影対象もいるしね。


千秋楽の最後に「SEE YOU NEXT」の文字がばばーーんと表示され、客席が喜びの悲鳴でどよめく中しばしの間の後血で描かれた「?」が末尾にくっつく・・・というドSすぎる演出があったんだけど、再演(続編)を!!!!!!という客の欲望を掻き立て弄ぶその演出は最後までこのショーらしくはあったけど、もしこれが単なる演出ではなくほんとうにそういう話が出ているのならば、ALUCARD以外の人物像は再考して欲しい。


ALUCARDはめったくそカッコよかったです。ここまで文句書いてはきましたが、歌って踊るアルカードが見られればそれでいいってか、もうそれが全て!!!でした。
てかタッくんが!!わたしの植原タッくん史上最高にカッコよくって!!!。この人の長い手足と大きな手と細くて長い指がこうまで映える役であり作品をわたしは知りません!。いままで見たタッくんの中でぶっちぎりのNO.1!!!!!。
タッくん演じるカーミラの立ち位置がイイんですよ!。ALUCARDは優也演じるリーダー・ブラド様が「ボス」で、あとのメンバーは一応同等っぽいんだけど、でもブラド様が彼らの事を話す時は「カーミラたち」って言うんだよね。ブラド様以外のメンバーは劇中で言葉を発することがないから(こそこそ話はしてるけど)メンバー内の力関係や関係性は彼らの仕草や表情から察するしかないんだけど、ブラド様不在のリビングでソファに座ってる感じとか、ウォルターにグラスの中身を飲ませようとする時に全員がカーミラを見るのとか、ブラド様抜きのアルカードの中ではカーミラが中心っぽいんだよね。そこわたしはブラド様が最初に仲間にしたのがカーミラだからだと、吸血鬼としての力の強さは勿論、ブラド様との付き合いが一番長いのはカーミラだからだと想像するんだけど。

で、カーミラとシンメになるのは壮一くん演じるオルロックなんだけど、オルロックとカーミラは悉く対照的なんだよね。
手足が長くスラっとした体型で、その仕草は女性的とも言える優雅さかつ色気ダクダクで、それでいて目つきは常にクールで冷たいカーミラに対し、小っちゃくて身軽なオルロックはウォルターのことをじーーーっと観察してるっぽかったりウェイトレスをまるで「美味しそうだなー」とでも言うかのごときニヤニヤヘラヘラ笑いで見てたり、椅子の上で膝抱えたり(体育座りっぽく)、やんちゃな感じなのね。
そんなオルロックは一番最後にアルカードに加わったんじゃないかなーと思うの。だからまだ吸血相手としての人間に興味シンシンなんじゃないかなと。一番最後ってことは吸血鬼歴が一番浅いってことなんだけど、でも性質的には一番吸血鬼に向いてるというか、邪悪の塊みたいな子なんじゃないかなーと思うのよね。こんな可愛い顔して吸血鬼仲間ですら引いてしまうほどの外道だと。だから新入りでありながらもカーミラに続くポジションにいると。
当然カーミラは面白くないよね。カーミラの美学というか美意識というか、そういうものとオルロックのそれは相容れないから。
で、ブラド様はそんなカーミラを見て楽しんでる、というか、そんなカーミラが見たいんですよ。ブラド様は好き勝手振舞うオルロックを気にしない素振りしつつも嫉妬するカーミラの顔が好きなんです!!。なんならあえてカーミラの前で見せつけるようにオルロックを可愛がったりしちゃうんです!!。ブラド様の膝の上でごろごろ喉を鳴らしカーミラにニヤリと笑いかけるオルロックちゃん!!。
・・・って妄想するの超幸せだった(笑)。あっち(ブラド様)からもこっち(オルロック)からも攻められる美形の吸血鬼・カーミラたんとかめったくそモエる!!!!!。
ていうかもうこのリアル人外リアル吸血鬼にしか見えない美しいタッくんに『カーミラ』という名前を付けたこと、これが全てを物語ってますよね!!S・A・I・K・O・U!!。

アルカードたちは他人を操れる・・・のかなぁ?他人の口を借りて言葉を発したり(自分が思ってることを他人に云わせたり)、他人の心の声を口から出させたりすることが出来るんだけど、その時自分の口元を手で隠し指先をピロピロって動かすのね。このタッくんまじ最高。タッくんのデカい手と細い指まじまじ最高。
あとカーミラは基本ロングカーデにスカートパンツなんだけど、ALUCARDの曲の時だけノースリになるんだよね。ノースリから伸びたしなやかな筋肉質の腕たまらーーーーーーん!!その腕で「A・L・U CARD」ってやるのたまらんんんんんんんんんっ!!。

てか楽のLAST LIVE、カーミラたんってば胸元ガバっと開けてて腹筋まで丸見えになってて超驚いたんだけど(いつもこれぐらい開けてたらわたしは確実に食らいついてるはずなんで千秋楽仕様だったと思うの!)(しかも楽は優也を筆頭にみんなゴリゴリハードに踊ってて、タッくんってば指で唇をセクシーに撫でーの両手指をクイクイっとカモン手振りとかしててえええええ!とりあえず死んだ。わたし死んだわw)、汗でぬらぬらした胸元とバッキバキの腹筋のコントラストの美しさたるや筆舌に尽くしがたく!!!。

アルカードは何度か女性とペアで踊るんだけど、邪悪な笑みを浮かべながら今にも喰らいつきそうな勢い&距離で女をリードするオルロックも萌えるけど無表情で女をモノのように扱うカーミラがくっそモエるんすよおおおおおおおおおおおおおおおお!!。そんで吸血する瞬間被ってるハットをクイっと顎の方に引っ張り目元を隠すのね。それが超絶エロい!!!!!。冒頭のアルカード紹介タイム(ソロダンス)の時、一番最初に踊ったあと壁に凭れて続くメンバーのダンスを無表情だけどちょっと退屈そうに見てるカーミラもエロかっこいい!!!!!。
それでいてチャイニーズレストランでその実力を認めたマリアが「でもボスはあたし!わかった!?」と強く問うと『こくんこくん』って2回頷くカーミラたんは猛烈可愛いとかー!。

そんなタッくんカーミラがクールな仮面を一瞬外す瞬間があって、それが後述しますと書いたシーンなんだけど、アルカードの手足となって動く下僕とすべく酒井さん演じるウォルターにアルカードが好んで飲んでるグラスの中身=アルカドニアの生き血を飲ませるってな場面があるのね。
アルカードというかカーミラはそのタイミングを見極めてて(この件についてはブラド様から一任されてるんだと思う)、機が熟したと判断したカーミラは無言でグラスに赤い液体を注ぎウォルターに差し出す。アルカードがいつも飲んでるその液体を飲んでみたかったんだとグラスに口を付けたウォルターだが、液体は喉を通らず吐きだし激しく噎せる。再びグラスを液体で満たし差し出すカーミラ。ウォルターを取り囲むように見守るアルカード。再び液体を口にするもやはり呑み込めず吐きだしそうになるウォルターの口を背後から抱きかかえながら手でグッと塞ぐオルロック。ガラスのボトルに残った生き血が全てグラスに注がれると、ウォルターを囲む仲間たちからちょっと離れたところで片膝をつき爪を咥えながら(細長い指を口元にあてながら)「これが最後のチャンスだ」とばかりにじっとウォルターが生き血を飲めるか、つまり自分たちの本当の意味での下僕になれるかどうか、ちょっとドキドキしながら見守るカーミラがすっごい良かった。

つーか実はわたしこのシーンが一番お気に入りでして、だって酷薄そうな笑みを浮かべるイケメン吸血鬼たちが小太りのオッサンを貪るようにして迫ってるとかやっばいだろこれ!!!(笑)。でもだからと言ってこの酒井さんと変わりたい変わって欲しいとは思わないんだよね。これはオッサン相手だからいいんであって女だったらここまでのエロスは醸し出せないもん。

で、眼前で繰り広げられるあまりにも理想的すぎる吸血鬼攻めシーンを見ながら、河原さんがやりたい(というかやられたい)のって実はコレなんじゃないかなぁ・・・と思ったり(笑)。コレを描くためにこの話を考えたというのならばわたし河原さんに対する認識を改めなければなりません!(笑)。


そしてそんなアルカードを率いる優也。
闇を纏い月の光を背負いながら歌うために登場した優也は舞台の真ん中に立つと口の端を柔らかく持ち上げてにっこり笑うのね。もうこれだけで、登場した瞬間のこの一瞬でこの人は純血種・ブラド様だという圧倒的な説得力なんですよ。笑うだけで存在が成立するの。
わたしが人外に、中でも吸血鬼にロマンを抱く理由って圧倒的な孤独を纏っているからなんですよね。何百年も変わらぬ姿で在り続けなければならない孤独。だから吸血鬼は相手を自分の体内に取り込む吸血という行為で仲間を増やそうとする。でもそうやって吸血鬼になった吸血鬼と、生まれついての吸血鬼、純血種とはやっぱり違うんだよね。劇中でそうハッキリと明言されることはなかったけれど、優也ブラド様は純血種なんだと思う。だからカーミラたちと一緒に生き血を飲むことはしないし(アルカドニアの生き血を吸うカーミラたちをニコニコ笑いながら見てるだけ)、朝日を浴びても燃え尽きることはないのだと思う。頂点に立つべく生まれた孤高の存在なんですよ。

そんなブラド様は孤独を『退屈』という言葉で表現するのです。それが強がりなのか、それともまだ優也ブラド様は退屈がやがて孤独に変わることを知らないのか、その判断はできないんだけど、アルカードを使いマリアの憎しみをMAXまで高めカーミラたちを殺させぶんわり笑いながら「今回は退屈しなかった」と優しい声音で言うブラド様まじ鬼。
そんでもって自分を楽しませてくれたマリアに「ご褒美をあげよう」と決して消えない『想い』を刻み付けるわけですよ。「いつかまた、会う時まで」という言葉とともに。
このマリアの耳元で囁かれる再会の約束は観客には聞こえないんだよね。演出としては口パクだから(なので必死で口元を凝視しましたw)。だから観客はそれを想像するしかなくって、それがまた『なんて言ったのか知りたい!』という飢餓感を煽るわけで、ブラド様まじまじ鬼畜。
そんなブラド様をサラっと成立させる松下優也まじキングオブ人外。それに尽きる。




再演あるのかなぁ・・・・・・。
人外優也の説得力に尽きると書いておいてなんなんですが、実はわたし、ある回で突如「ブラド様を東山さんで観たい」と思ってしまって、さらに東山さんが妖怪でその仲間を相葉っちとヒデ様が演じた某作品の記憶からブラド様→東山さん カーミラ→ヒデ様、オルロック→相葉っちで・・・と連想してしまって大変でした。いや今も大変中です(笑)。