ミュージカル『黒執事』−The Most Beautiful DEATH in The World− 千の魂と堕ちた死神@赤坂ACTシアター

見ながらずーーーーーーーーーーっと良知エリックとガウチアランの関係性ってデジャブなんだよなぁ・・・と思ってたんだけど、東京公演千秋楽を見終わって帰りの電車の中でようやっとそれがなんなのか思い至りました。
風魔の小次郎(ドラマ&舞台版)の白虎と紫炎だ!。
エリックとアランの関係性自体は前回同様、先輩後輩でありお互いを“特別な存在”として想いあってるんだけど、前回は大柄でいかにも先輩なエリックに小柄で華奢なアランだったからもうどっからどう見てもガチなソレに見えたものの、今回はそうは見えないんだよね。いや、ガチなソレには見えるけどw、先輩後輩って感じがしないんだよね。むしろ幼馴染というか、ずっと昔から二人(だけ)で生きてきたみたいな感じ。死神派遣協会という組織に属してるけど、生きるために二人はその道を選んだ的な。死神になりたてのアランを指導したのがエリックだったという云わば“偶然の出会い”なんかじゃなく、もっとずっと前から培われていた愛だけじゃないもっとずっと深い絆、のようなものを感じたんだよね、今回のエリックとアランには。
多分役の解釈じゃないと思うんだよなぁ。演出の意図としては前回と同じだと思う。だからわたしが感じたその印象の違いの理由は演じるキャストの違いによるものだと思うわけで、だから今回は先輩後輩関係じゃない方が良かったんじゃないかなぁ。一緒に死神派遣協会に入り、狩るべき魂に心を添わせようとするアランとそれが理解できないエリックなので言い合いになったりもするけど、でもエリックはアランの優しさを、アランはエリックの強さを、お互いを尊敬し頼もしく思いあっていて、隣を見ればいつもお互いがいて、ずっと一緒に生きてきた・・・そんな関係性のほうが相応しかったんじゃないかなーと思った。
これからもずっと一緒に二人で面白おかしく生きていけると思ってたのに、アランがいなくなってしまう(かもしれない)ことを知ったエリックは、その時はじめて自分の中にあるアランへの友情を越えた想いに気づいたんじゃないかなぁ。どうしたらいい!?俺はあいつのために何をしてやれる!?と悩んで悩んでたどり着いたのが千の魂の話で、そのためには死神派遣協会の規則を破ることになるし、アランを救うことができてももう今までのように二人で生きていくことは出来ないだろう、それでもアランを救えるのならばと魂狩り始めたもののやっぱいろいろ葛藤しちゃうもんだからイライラしたり爆発しそうな感情に押しつぶされそうになったりでアランとの間に微妙な壁が出来ちゃったりして、そんな自分が嫌だからって秘書課の美人を喰ってみたりもするんだけど余計イライラは募るばかりで・・・ってな感じで揺れまくってるエリックだと思うんだよね。わたしにはそう見えた。
二人のエリックを単純比較することを許してもらえるのならば、佐伯さんのエリックは“堕ちる覚悟”を決めたあとって感じで、揺らぐことなく感情をシャットダウンしてただただ魂狩りマシーンと化してる感じだったのに対し、良知のエリックは自らも血を流しながら魂狩ってるように見えるんだよなぁ。そしてその印象は前者を“先輩”として補強し、後者はその逆・・・というか。まぁ簡単に言っちゃうと佐伯さんのエリックは先輩=大人の余裕があったけど良知エリックはそれがなかったってことなんだけど。
で、繰り返しになるけどそれはやっぱり役者のキャラクター性の違いであり、アランとのバランスによるものだと思うんだよね。
エリックのみならずアランも、特にビジュアルの違いは明白でさ、見るからに儚げで何がなんでも守り助けてやりたいと思わせる松本くんアランに対し、ガウチのアランはまぁそういう感じはしない・・・よねw。松本くんアランはもうこれ以上エリック先輩が手を汚すことがないように、愛するエリック先輩を守るために、自分の命と引き換えにエリック先輩を救おうとした・・・ってな感じだった記憶があるんだけどそれは言ってしまえば“諦め”だったと思うのね。愛する人のために生きることを諦めたアラン。その様は壮絶なまでに哀しくて、そして震えるほどお耽美だったんだけど、ガウチアランはエリックに斬られるその瞬間まで生きていた、と思う。もうエリックを止めることが出来ないと、だったらエリックの罪を半分背負おうと、僕も穢れようと、命の炎が消えるその瞬間までエリックの隣を歩き続けると、ガウチのアランからはそういう意思を感じた。
松本くんアランが佐伯さんエリックを守り救おうとしたのに対し、ガウチアランは最期まで良知エリックの隣に居続けようとした。これはやっぱり先輩後輩って感じじゃないよねぇと。白虎と紫炎のように、言うならば『魂の片割れ』、そんな感じだとわたしは思った。
だからさ、松本くんアランは佐伯さんエリックが自分のことをそういう意味で愛していると分かってたと思うんだけど、ガウチアランは分かってなかったと思うんだよねぇ。
そう思うと、今回のエリックがアランを想って『お前が死んだら その冷たい頬に たった一度だけキスして』と歌うのって・・・・・・どうしようもなく超片思いなんだよ!!超切なくねえ!??(笑)。


・・・・・・・・・とまぁ長々とホモ死神について語りましたけどもw、でもさぁ・・・でもさぁ・・・・・・・・・・エリックとアランがどんな関係性なのか?ってのはシエル坊ちゃんとセバスチャンには関係ないのよね^^^^。ホモ死神の事情なんざ坊ちゃんとセバスにとっちゃどーーーーーーーーーーーだっていいわけですよ^^^^。そこに同情も共感も生まれるわけがないし、女王の番犬として女王の憂いを晴らすべく“犯人”であるホモ死神を抹殺するだけ。この話のシエルとセバスはただそれだけで、セバスとシエルの間には何の物語もないのです。ただお仕事をしてるだけでしかない。前回公演の感想でもプリプリしながらおんなじこと書いた記憶がありますが、それだったら他でやってくれってな話。その印象は今回も変わりませんでした。
連日立ち見もそこそこいたし、大楽のライブビューも結構売れてるらしいし、コンテンツとしての力はあるわけだから今後も続きそうではあるけど(東京楽の挨拶でタッくんが「どういう形であれまた東京に戻ってきたい」と結構キッパリ言ってたぐらいだし)、誰のための舞台なのか、ってことを考えて欲しいんだよなぁ。『黒執事』という原作があってこそ、この独特の世界観は全て原作によって作られているものなんだってことを制作側が理解してるのか疑問なんだよね、ハッキリ言って。シエルに原作まんまの衣装を着せれば、駒鳥シエルを見せればいいってもんじゃないんですよ。セバスに「おねだりの仕方は、教えたでしょう?」って原作カットを再現させれば満足だろ?ってな姿勢が透けてみえるんですよ。そうやって中途半端に原作要素をつまみ食いしておきながら原作キャラそっちのけでオリジナルストーリーってさぁ、一体誰のための舞台なのよ?と。これまた前回感想で書いたけど、死神が主役だってんなら原作キャラであるグレルとウィルとロナルドをもっとそのオリジナルストーリーにしっかり絡ませろよっての。
こういう意見ってアンケやらなにやらで絶対伝わってると思うんですよね。それも結構な数が。だから『再演』に際しどの程度手を入れてくるのかを楽しみにしてた部分が少なからずあったんだけど、そこでグレルの出番増やすってのは正解だけどでもその方向性が違うんだって・・・。ていうかわたしグレルは恋する乙女ではあるしオカマだけどオネエじゃないと思うんだよな。「アタシ」呼びだけど別に女になりたいわけじゃない。セバスちゃんと一つ屋根の下で夜を過ごせるドッキドキ☆まではいいんだけど、ネグリジェとか着ないと思うんだよなぁ。よかれと思ってグレルの出番増やしたんだろうけど、この何歌ってんだかわかんねーソロはいらんわ。
いや、いらないってのは嘘いる(笑)。いるんだけど、フルコーラスはいらないかな^^。
てかいっちばんいらないのってセバスの極上の愛曲なんだけど、これこそフルコーラス歌う必要ないよね。ていうか『ミュージカル』ってこういうことじゃなくねー?(笑)。
なんか歌パートが総じてクドい印象なんだよなぁ。曲も演出も。歌唱力の話は別として、ミュージカルとして成立してたのって1幕ラストと2幕のエリックとアランの曲ぐらいだと思う。あとは歌謡ショー。
でも極上の愛曲はセバスというよりも葬儀屋の唯一と言っていい出番なわけで、ドルイット子爵曲も然り・・・・・・なんだよなぁ。だから一概に削れとは言えないわけで、ジレンマ。


というわけでドルイット子爵。わたしの愛するド変態こしゃく。初日感想でも書きましたがヒデ様こしゃくはそれはそれはもう素晴らしいド変態で、そしてドジっこでございました(笑)。
こしゃくはとっ捕まえてきた雛鳥をムチでペチペチするんだけどね、4回に1回ぐらいは勢い余ってってかうまくペチペチできなくて自分の足にムチ当てててもうなんというガチ変態なのかとwww。そら楽のカテコでガウチに「よっ!変態っ!!」言われるわwww。
欲を言えばどんなに変態でも『品』は欲しかったとは思うんだ。英国貴族としての気品はちゃんとある上で、そのうえで独自の美学の世界に生きる変態。それがわたしが思うドルイット子爵なんだけど、この舞台のドルイットに品はありません。ただの変態キチガイ。でもこれはヒデ様の演じ方に問題があるのではなくドルイット子爵というキャラから変態という分かりやすい要素のみを抽出した演出のせいだと思うんで、ヒデ様に対しては素晴らしいと手放しで称賛するわ!。エリック君のために用意した最高の舞台で繰り広げられる殺戮オペラを高所から見物する目がキラッキラしてるんだよね。ギラッギラではなくキラッキラ。どんなにおぞましい情景もこの目にはさぞ綺麗に染まって映ってんだろうなぁ・・・と思わせる純粋で恍惚とした目つき。これがもうまさにこしゃくなの。
あとやっぱり美しい。しっかりと着込んでるから顔や首はもう汗ダクなんだけど、それが艶に見えるほどピッカピカなのよ。特に唇が!ツヤッツヤのプルップル!!。
やっぱこしゃくがこしゃくとして成立するためには『圧倒的な美』でなければならないわけよ。そうじゃなきゃただのド変態犯罪者でしかない。藤田くんのドルイットも美しくはあったけど、でもヒデ様ドルイットを見てしまった今では『華』がなかった、と思う。ソロ曲ラストで白薔薇背負う演出があるんだけど、あんなもんなくったってヒデ様こしゃくの背後には咲き誇る大輪のおはなが見えたもんw。
雛鳥を監禁してる屋敷にエリックが現れ、アランもまたエリックを追って現れ、状況が見えずに戸惑いながらもエリックに殴られ倒れるアランにシンクロするこしゃくがアホ可愛かったです(笑)。あの動きはぜったいにドルイット子爵じゃなかったけど(笑)。
そして楽カテコの〆は「本日はありがとうございました!からの〜(全員揃って)『不死鳥!!』」だったんだけどw、ヒデ様の不死鳥ポーズかんっぺきwwwww。みんなフラついたりやや照れしたりしてんのに一人華麗に不死鳥ポーズきめるヒデ様まじまじわたしのドルイット子爵!!!。


タッくんグレルは前述の通り演出的にわたしの思うグレル像とは違う面が今回はより強かったものの、相変わらず凄まじい2.5次元クオリティでございました。さすがに自分なりにグレルというキャラクターを演じるツボってかスイッチの在りかが分かってるって感じで全力だけど余裕があるというか、もはや貫禄すら感じさせるレベル。それだけに見せ場であるソロ曲が下品でしかないのが勿体無くもあり気の毒でもあり・・・なんだけど、タッくんがグレルを演じ続ける限りわたしはタッくんのグレルを見続けるよ。それだけの価値がある。
タッくんグレルの一番好きな場面はドルイットオペラに出掛けるべくせっかく服言葉(花言葉の服バージョンw)は「情熱」である赤いドレスを着たってのに、なぜかアランまでノリノリでドレスどころかヅラまで着用してるもんだから「アタシが霞むじゃないのよキイイイイイイイッ!」→アラン「先輩の方が綺麗ですからっ!」グレル「アラそう??(←嬉しそう)」ってゴチャゴチャ言い合うところw。ていうかタダのオカマ同士の会話なんですけどw。
てかこのアランの女装なんだけど、これ前回アラン役をやった松本くんの衣装をそのまんま着用してる・・・・・・よね?。2幕冒頭のシエルとセバスの狙いすぎ演出から始まり(タッくんグレルが「も、もっと・・・やさしく・・・(←シエルの物まね)って下手くそか!!」に魂こめすぎててバロスw)そのシーンの『オチ』としてのアランなので出オチを狙ったような気がしなくもないんだけど、それにしたってこの足元ひでーよな。あの胴長に見える中途半端なドレス丈は松本くんが着てたものだからだとしても、素足に白パンプス(ガニ股)ってなぁ・・・。同じようにコント女装してるアバーラインと部下には白タイツ履かせてんのになんでアランは素足なのかと。確かに「出オチ」効果はあるけど、でもその瞬間はいいとしてもその後の展開を考えるとこれ世界観的にアウトだと思うの。ガウチに合わせて新しいドレス作る予算がないんならせめて足元を黒か白のブーツにするとかさ(本来こういう場にブーツは相応しくないかもだけど)他に見せようはあるんじゃないかなーと。あんまりガチ女装にしちゃうとBL分が過剰になってしまうからということなのかもしれないけど、でもこれBLじゃん?。そのつもりで作ってんだろ?。BLやるなら本気でやれよと。ハンパなことしてんじゃねーよとわたしは言いたい。
でも細身のダークスーツにループタイ、黒手袋に眼鏡とわたしの好物を全身に装着したガウチにはあんまモエなかったんだけど(笑)、エリックを処分すべく現れたウィル(とロナルド)に事情を説明すべく「待ってください!」と叫びながらドレスの裾をグイっと持ち上げパンプスで段差をものともせず階段を2.3段すっ飛ばしてかけよるガウチにはモエました(笑)。ドレス姿に加えて激しい運動をするとすぐ胸を抑えて「ウッ・・・」と倒れこんじゃうくせにこの時だけはものすごい身軽に動くんだよね。それはひとえにエリックを殺らせまいとする気持ちがそうさせるんだろうなーと思うと超モエる(笑)。


良知エリックと優也セバスのバトルは最初の3日こそ「もっさり」以外に表現のしようがない出来だったけど、回を重ねるごとに噛みあうようになってきて最終的にはまー「見られるかな」ってなところまではきたかな。てかこの舞台って殺陣指導いるのかなぁ?。なんかあちこちで実際に当っちゃったりしてんのが見てとれて、一度なんてセバスの蹴りがエリックの側頭部にほんとに入っちゃってたりしてたもんで(パチンって音が聞こえたぐらい)何度も危ないなーと思わされたし、セバスの側転×3にエリックのバク転が毎回笑いポイントだったんだけどw、そんなもの途中で入れるもんだからテンポ悪いんだよね。バトルシーンはセバスにとって最大の見せ場なわけだからとにかくセバスを恰好良く、そして華麗に見せる殺陣つけてあげてほしいんだけど。
この流れでシエルにも触れるけど、シエルは思ったよりも見た目はまあ悪くなかったけど滑舌悪くて命令(口調)にキレ皆無だしなによりも歌が・・・あまりにも歌唱力に難がありすぎてセバスとの歌が耳障りですらあったのがなぁ・・・。
ていうか初代シエルの素晴らしさを改めて思い知らされました。あれはほんとうに奇跡だった。
ていうか初演の優也は今と比べて線が細くてそれが初代シエルの佇まいと相まって本当に美しいラストシーンだったのだけど、今の優也はたくましくなってシンガーであり男としての魅力は増したけどでもセバスからは遠ざかってしまった・・・というか、はっきり言ってガッチリしすぎて(特に下半身が)(いや下半身は初演時から立派(笑)で当時共に見た人たちと「あれヤバくね!?パなくね!?!?」と大騒ぎした記憶はありますが^^)、スマートさには欠けるかなーと。アクションで身体が流されることなく止められるようになっててそれはいいと思うんだけど、それ以外の場面では総じてカクカクしてる印象で、多分キビキビのつもりなんだろうけどわたしにはカクカクにしか見えなかったんだよね。その上優雅さには程遠いシエル坊ちゃんだもんでシエルとセバスのシーンがどうにもこうにも・・・やっぱり「もっさり」って表現が一番しっくりくるかなぁ・・・、そんな感じなんだよねぇ。そこいらへんも演出でもうちょっとどうにかなりそうなんだけどなー。

誕生日のサプライズカテコにアタフタしたり、千秋楽の挨拶で口開いたらバリバリの大阪弁で笑われるのは安定の優也(笑)。
そして肩組んだり身体ぶつけあったりおんぶしたりとモチャモチャする優也とタッくんには毎回クソッこいつらクソクソッ!と思いました(笑)。
てか最後にこしゃくのムチを手にして嬉々として振るうタッくんと、俺もやりたい!っつってムチ貰った優也のムチ捌きがヒデ様のソレを余裕で凌駕してたのがどっちの意味でもなんとも(笑)。